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四天王寺 してんのうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

四天王寺
してんのうじ

大阪市天王寺区元町にある寺院造営推古1 (593) 年と伝えられ,荒陵寺ともいう。主要伽藍は南北中軸線上に,南から南大門中門金堂講堂の順に配され,塔と金堂を包む回廊がめぐっている。この種の配置を一般に四天王寺式と呼んでいる。寺は建立後,幾度か罹災しているが,その都度ほぼ旧規に則して復興され,国宝の『扇面法華経冊子』をはじめ,長い寺史を物語る多くの寺宝が伝わる。なお大規模な発掘調査により旧規模が解明された。

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デジタル大辞泉の解説

してんのう‐じ〔シテンワウ‐〕【四天王寺】

大阪市天王寺区にある和宗の総本山。もと天台宗。山号は荒陵山。聖徳太子創建と伝える。四天王寺式伽藍(がらん)配置をもち、承和3年(836)以降たびたび焼失、現在の伽藍は、第二次大戦後復興されたもの。寺宝に、扇面法華経冊子などがある。荒陵寺(あらはかでら)。御津寺。難波大寺。堀江寺。天王寺。

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百科事典マイペディアの解説

四天王寺【してんのうじ】

大阪市天王寺区四天王寺にある和宗の総本山。古くは荒陵寺,難波寺等といい,天王寺とも。本尊救世観音。聖徳太子が物部守屋の乱に際し,戦勝を祈願して四天王を安置したのに始まるといわれる。
→関連項目大阪[市]貝寄風画像【せん】熊野街道聖徳太子太子伝天王寺天王寺[区]中村岳陵若草伽藍跡渡辺津

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デジタル大辞泉プラスの解説

四天王寺

三重県津市にある寺院。創建年不明。曹洞宗中本山、本尊は阿弥陀如来薬師如来。聖徳太子が建立したとされる。

四天王寺

大阪府大阪市にある寺院。創建は593年。和宗総本山、本尊は救世観世音菩薩。聖徳太子が彫った四天王像を安置して建立したとされる。六時堂などは国の重要文化財に指定。

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世界大百科事典 第2版の解説

してんのうじ【四天王寺】

大阪市天王寺区にある寺。荒陵山と号し,荒陵(あらはか)寺,天王寺ともいう。もとは天台宗,第2次大戦後独立して和宗本山となる。 587年物部守屋討伐のとき聖徳太子が四天王に戦勝を祈願して寺院の建立を発願し,593年(推古1)造営に着手したと伝える。1955年の調査で飛鳥~奈良時代の瓦が塔,金堂,中門周辺から出土し,草創伝承と造営の継続を裏づけた。伽藍配置は中門,塔,金堂,講堂を南北中軸線上に並べる四天王寺式として知られている。

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大辞林 第三版の解説

してんのうじ【四天王寺】

大阪市天王寺区にある和宗(初めは天台宗)の寺。山号は荒陵山。天王寺と略称。古くは荒陵あらはか寺・難波寺・御津みつ寺と称した。聖徳太子の創建と伝える。中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶいわゆる四天王寺様式の建築で、飛鳥時代の様式を伝える。現在の建物は戦後復元されたもの。堀江寺。 → 伽藍配置がらんはいち

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世界大百科事典内の四天王寺の言及

【極楽】より

…鳳凰堂は当時〈極楽いぶかしくば,宇治の御寺を敬へ〉と歌われていた。また四天王寺の西門が,難波の海を隔てて,極楽浄土の東門の中心に当たると考えられ,彼岸の中日には落日のかなたに極楽が望まれると信じられた。四天王寺の西方海上で死ぬと,直ちに極楽に往生できると思い,投身入海するものもあった。…

【寺院建築】より

…百済では公州と扶余に寺院址を残し,遺構には扶余定林寺址五重石塔,益山弥勒寺址多層石塔がある。伽藍配置は中門,塔,金堂,講堂を一直線上に置いた百済式伽藍で,日本に波及して四天王寺式伽藍と呼ばれる。定林寺址,金剛寺址,軍守里廃寺は中門と講堂を回廊で結び,金堂を囲う四天王寺式伽藍であり,弥勒寺址は回廊が金堂と講堂の中間で閉じる日本の山田寺伽藍と同形式である。…

【慈善事業】より

社会福祉【古川 孝順】
〔慈善事業の歴史〕

【日本】

[古代]
 古代における慈善事業を概観すると,まず僧尼・皇族・貴族・地方官吏・豪族など個人による慈善救済活動がある。この面では,聖徳太子の四天王寺の施薬院など四院の設置ほかの事績が想起されるが,伝説的要素が強く確かなことは不明である。その点,詳細な史料の残る奈良時代の僧行基の活動は質量ともに特筆でき,後世の慈善事業に与えた影響も大きい。…

【聖徳太子】より

…聖徳太子の称は《懐風藻》の序文(751)が初見。初め上宮(うえのみや)に住み,後に斑鳩宮(いかるがのみや)(いまの法隆寺東院の地)に移ったというが,14,15歳のころ蘇我馬子の軍に加わって物部守屋を討ち,そのとき四天王に祈念して勝利を得たので,のちに難波に四天王寺を建立したという。《日本書紀》によれば,592年(崇峻5)11月に馬子が崇峻天皇を殺すと,翌月に推古女帝(敏達天皇皇后)が即位し,翌年(推古1)4月に太子を皇太子にして万機を摂政させたというが,この時期はまだ大兄(おおえ)の制が行われており,単一の皇位継承予定者である中国的な皇太子の制がすでに存在したかどうかは疑わしく,《日本書紀》以前に太子のことを太子と記した確かな史料もほとんどない。…

【天王寺方】より

…雅楽演奏専門家(楽人,伶人,楽師などと称す)の出身系統を示す名称。大阪四天王寺所属の楽人を指す。雅楽は宮廷を中心とする伝承と,諸大寺社に擁された独自の系統があり,宮廷には平安中期ころに楽所(がくそ)が組織され,楽人は世襲された。…

【物部守屋】より

…この軍勢の前に守屋は渋河の家で敗死した。以後,物部氏は衰勢に向かったが,守屋の奴と宅の半分は新たに造営されはじめた四天王寺(荒陵(あらはか)寺)の寺奴と田荘とされた。【門脇 禎二】
[伝承]
 物部守屋はその後の仏教流通の世情のなかで,もっぱら〈仏法のあた〉とみなされた。…

※「四天王寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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