小倉屋仁兵衛町(読み)こくらやにへえちよう

日本歴史地名大系 「小倉屋仁兵衛町」の解説

小倉屋仁兵衛町
こくらやにへえちよう

[現在地名]北区中之島なかのしま五丁目

堂島どうじま川の浜通で、次郎兵衛じろべえ町の西にあり、肥後熊本藩細川家蔵屋敷の裏手になる。小倉屋仁兵衛は元和―寛永期(一六一五―四四)大坂城築城にあたって細川家と関係があったが(細川家文書)、同時期当町の開発を行ったものであろう。初発言上候帳面写に「小倉仁兵衛請所」とある。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数一・役数一〇役で、年寄はおかれず細川家蔵屋敷名代木屋七郎右衛門が代行した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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