小宅郷
おやけごう
「和名抄」所載の郷。訓は高山寺本は「乎也計」、東急本は「古伊倍」。「播磨国風土記」に少宅里があり、かつては漢人が居住したのにちなんで漢部と称した。のちに川原若狭の祖父少宅秦公の女を娶り、その家を「少宅」と名付けた。若狭の孫智麻呂が里長となったので、それにちなんで庚寅年、すなわち持統天皇四年(六九〇)に少宅里と称するようになったという。庚寅年籍作成に伴う里の成立は、揖保郡越部里や餝磨郡小川里の条にもみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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