兵庫県西部を北から南に流れる川。兵庫県の最高峰
龍野市の中心市街地付近から以南の下流部では、かつては平地上を揖保川が曲流しながら乱流していた。地表には多くの旧流路跡や自然堤防が残っており、微細な小起伏は、集落の立地や水利、災害など、多くの面で人々の生活と深い関係をもっている。平地上には古代の条里地割も広く分布しており、それによって古代の生活空間の広がりを推定することができる。河口部では当川とその分流の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
兵庫県南西部、揖保郡にあった旧町名(揖保川町(ちょう))。現在はたつの市の南部を占める一地区。1951年(昭和26)半田、神部(かんべ)、河内(かわち)の3村が合併、町制を施行して成立。町名は、町の東端を限る揖保川にちなむ。2005年(平成17)、揖保川町は龍野(たつの)市、新宮(しんぐう)町、御津(みつ)町と合併してたつの市となる。古来、水陸交通の要地で、中心の正条(しょうじょう)は西国街道と室津(むろつ)を結ぶ宿場町として栄えた。現在国道2号が走り、JR山陽本線の竜野(たつの)駅、山陽自動車道龍野西インターチェンジがある。主産業の農業は米作を中心に、トマト栽培など近郊農業化が進み、宅地化による住宅都市化も顕著である。淡口しょうゆ(うすくちしょうゆ)の町でもある。また、西播磨(はりま)テクノポリス地域、播磨地方拠点都市地域の指定を受けている。江戸時代後期の大地主邸宅永富家住宅(ながとみけじゅうたく)(主屋・長屋門・味噌蔵など)は国の重要文化財。
[大槻 守]
『『揖保川町史』全3巻(2001~ ・揖保川町)』
兵庫県西部を南流する河川。宍粟(しそう)市、養父(やぶ)市の境にある藤無山(ふじなしやま)に発し、ほぼ直線状に南下して、姫路(ひめじ)市網干(あぼし)で播磨灘(はりまなだ)に注ぐ。一級河川。延長70キロメートル。流域面積810平方キロメートル。上流では播但(ばんたん)山地を開析して福知渓谷などを刻み、引原(ひきはら)川との合流付近から谷底平野を広げて、宍粟市山崎、たつの市新宮、龍野(たつの)の市街地を発達させ、下流では複合三角州を形成して姫路平野の一部となる。かつては上流では木材の筏(いかだ)流しがあり、舟運は山崎まで高瀬舟が往来し、ことに龍野しょうゆの原料や製品の輸送でにぎわった。
[大槻 守]
兵庫県西部,鳥取との県境付近に発し,姫路市網干(あぼし)で播磨灘にそそぐ川。幹川流路延長70km,全流域面積810km2。兵庫県最高峰の氷ノ山(ひようのせん)の南側斜面に発する引原川が,宍粟(しそう)市の旧一宮町で三方川と合流して揖保川となる。流路の2/3は播但山地の狭い山間を縫い,同市の旧山崎町付近で谷底平野がみられるようになり,たつの市の旧竜野市付近から市川,夢前(ゆめさき)川とともに複合三角州を形成して播磨平野の穀倉地帯となる。河谷に沿う因幡街道が瀬戸内と山陰を結び,流域は早くから開けた。《播磨国風土記》は揖保郡(いいぼのこおり)条で応神天皇や渡来人の説話を数多く伝えているが,古墳出現,横穴式石室の採用とも,揖保川流域が播磨でももっとも早く,大和や渡来人との関係を裏付けている。なお揖保川は水質がよく,旧竜野市の淡口しょうゆや,そうめん〈揖保の糸〉は名産。
執筆者:小森 星児
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 《旧事本紀》は律令制にもとづく播磨国の成立以前,明石国造,針間鴨国造,針間国造の3国造がいたとする。播磨東部,加古川流域,市川,揖保川流域をそれぞれ勢力範囲としたのであろう。大和朝廷は縮見(しじみ),牛鹿,飾磨,越部などの屯倉(みやけ)や,日下部,矢田部,私(きさい)部,湯坐(ゆえ)部,山部,海(あま)部などの部民を置いて,勢力の浸透をはかった。…
※「揖保川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新