揖保川(読み)イボガワ

デジタル大辞泉 「揖保川」の意味・読み・例文・類語

いぼ‐がわ〔‐がは〕【揖保川】

兵庫県南西部を流れる川。中国山地東部の戸倉峠(標高890メートル)に源を発し、南流して姫路市網干あぼし区で播磨灘はりまなだに注ぐ。長さ71キロ。水質がよいため、たつの市付近では淡口醤油あわくちしょうゆ、そうめんの生産が盛ん。下流は播磨臨海工業地域

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日本歴史地名大系 「揖保川」の解説

揖保川
いぼがわ

兵庫県西部を北から南に流れる川。兵庫県の最高峰ひようノ山(一五〇九・八メートル)の南東、一宮いちのみや町北部に源を発して南部で引原ひきはら川を合せ、山崎やまさき町で伊沢いさわ川と菅野すがの川、新宮しんぐう町で栗栖くりす川、太子たいし町で林田はやしだ川を合せ、姫路市の網干区あぼしく瀬戸内海に注ぐ。全長七〇キロ、流域面積八一〇平方キロの一級河川。古くは揖保川のほか伊保川(峯相記)、大川(文禄四年五月吉日「揖保川井堰絵図」岩見井組文書)などとも記した。上流部・中流部は中国山地の東端部にあたる播但山地に深い谷を刻みつつ流れ、県内としては最も険しい山地を形成している。平地は支流合流部の谷底にわずかにみられるにすぎない。東方の加古川沿岸では、地形の隆起的性格を反映して多くの河岸段丘がみられるのに対し、当川の沿岸では中流の山崎付近の狭長なものを除くと、段丘地形がみられない。このことは地形の沈降的性格を示し、河川堆積物が谷を埋めて平坦な沖積平野を形成していて、山地・丘陵地と平地とは明瞭な山麓線で限られており、平地での小さな山地や丘陵は海中の島のように孤立している。

龍野市の中心市街地付近から以南の下流部では、かつては平地上を揖保川が曲流しながら乱流していた。地表には多くの旧流路跡や自然堤防が残っており、微細な小起伏は、集落の立地や水利、災害など、多くの面で人々の生活と深い関係をもっている。平地上には古代の条里地割も広く分布しており、それによって古代の生活空間の広がりを推定することができる。河口部では当川とその分流のなか川によって形成されたデルタがあり、現在の海岸線とほぼ並行に西南西―東北東に数条の微高地が走っているが、これらはかつての海岸線沿いの砂洲であり、古い集落はそういう微高地に立地している。デルタは部分的には近世に開発された新田である。最も海岸に近い部分には人工的な埋立地が広がる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「揖保川」の意味・わかりやすい解説

揖保川(旧町名)
いぼがわ

兵庫県南西部、揖保郡にあった旧町名(揖保川町(ちょう))。現在はたつの市の南部を占める一地区。1951年(昭和26)半田、神部(かんべ)、河内(かわち)の3村が合併、町制を施行して成立。町名は、町の東端を限る揖保川にちなむ。2005年(平成17)、揖保川町は龍野(たつの)市、新宮(しんぐう)町、御津(みつ)町と合併してたつの市となる。古来、水陸交通の要地で、中心の正条(しょうじょう)は西国街道と室津(むろつ)を結ぶ宿場町として栄えた。現在国道2号が走り、JR山陽本線の竜野(たつの)駅、山陽自動車道龍野西インターチェンジがある。主産業の農業は米作を中心に、トマト栽培など近郊農業化が進み、宅地化による住宅都市化も顕著である。淡口しょうゆ(うすくちしょうゆ)の町でもある。また、西播磨(はりま)テクノポリス地域、播磨地方拠点都市地域の指定を受けている。江戸時代後期の大地主邸宅永富家住宅(ながとみけじゅうたく)(主屋・長屋門・味噌蔵など)は国の重要文化財。

[大槻 守]

『『揖保川町史』全3巻(2001~ ・揖保川町)』


揖保川(川)
いぼがわ

兵庫県西部を南流する河川。宍粟(しそう)市、養父(やぶ)市の境にある藤無山(ふじなしやま)に発し、ほぼ直線状に南下して、姫路(ひめじ)市網干(あぼし)で播磨灘(はりまなだ)に注ぐ。一級河川。延長70キロメートル。流域面積810平方キロメートル。上流では播但(ばんたん)山地を開析して福知渓谷などを刻み、引原(ひきはら)川との合流付近から谷底平野を広げて、宍粟市山崎、たつの市新宮、龍野(たつの)の市街地を発達させ、下流では複合三角州を形成して姫路平野の一部となる。かつては上流では木材の筏(いかだ)流しがあり、舟運は山崎まで高瀬舟が往来し、ことに龍野しょうゆの原料や製品の輸送でにぎわった。

[大槻 守]

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改訂新版 世界大百科事典 「揖保川」の意味・わかりやすい解説

揖保川 (いぼがわ)

兵庫県西部,鳥取との県境付近に発し,姫路市網干(あぼし)で播磨灘にそそぐ川。幹川流路延長70km,全流域面積810km2。兵庫県最高峰の氷ノ山ひようのせん)の南側斜面に発する引原川が,宍粟(しそう)市の旧一宮町で三方川と合流して揖保川となる。流路の2/3は播但山地の狭い山間を縫い,同市の旧山崎町付近で谷底平野がみられるようになり,たつの市の旧竜野市付近から市川,夢前(ゆめさき)川とともに複合三角州を形成して播磨平野穀倉地帯となる。河谷に沿う因幡街道瀬戸内と山陰を結び,流域は早くから開けた。《播磨国風土記》は揖保郡(いいぼのこおり)条で応神天皇や渡来人の説話を数多く伝えているが,古墳出現,横穴式石室の採用とも,揖保川流域が播磨でももっとも早く,大和や渡来人との関係を裏付けている。なお揖保川は水質がよく,旧竜野市の淡口しょうゆや,そうめん〈揖保の糸〉は名産。
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揖保川(旧町) (いぼがわ)

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百科事典マイペディア 「揖保川」の意味・わかりやすい解説

揖保川【いぼがわ】

中国山地に発し,兵庫県西部を南流,一宮町で引原川を合わせ瀬戸内海に注ぐ川。長さ70km,流域面積810km2。上流の引原川流域はブナ,スギの美林地帯で,河谷沿いに因幡(いなば)街道(国道29号)が通じる。上流に発電用の引原ダムがある。
→関連項目揖保川[町]小宅荘新宮[町]波賀[町]播磨平野兵庫[県]御津[町]

揖保川[町]【いぼがわ】

兵庫県南西部,揖保郡の旧町。播磨(はりま)平野西部に当たる揖保川下流部にあり,米作を中心として,トマト,キュウリなどの近郊農業が盛ん。淡口しょうゆ,農機具も産し,羊毛工業も立地。山陽本線が通じる。2005年10月,龍野市,揖保郡新宮町,御津町と合併し市制,たつの市となる。23.66km2。1万2820人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「揖保川」の意味・わかりやすい解説

揖保川
いぼがわ

兵庫県南西部,たつの市南西部の旧町域。揖保川の下流右岸に位置する。 1951年半田村,神部村,河内村の3村が合体して町制。 2005年龍野市,新宮町,御津町と合体して,たつの市となった。 JR山陽本線竜野駅のある山津屋付近は江戸時代,西国街道と室津街道の接点にあたり,宿場町として栄えた。醤油醸造で知られるほか,果樹を中心とする近郊農業地区。姫路市郊外の住宅地にもなっている。江戸時代の豪農の屋敷である永富家住宅は国の重要文化財。南部は瀬戸内海国立公園の西播地区に属する。

揖保川
いぼがわ

兵庫県南西部を流れる川。中国山地東部の藤無山 (1139m) 付近に源を発する三方川と,戸倉峠 (891m) 付近に発する引原川が宍粟市で合流し,揖保川となって播磨灘に注ぐ。全長 71km。引原川上流の引原ダムは 1958年建設の多目的ダム。中流域は県内随一の美林地帯,下流域は播磨の穀倉地帯と臨海工業地域。水質がよく,上水源としても重要。

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世界大百科事典(旧版)内の揖保川の言及

【播磨国】より

… 《旧事本紀》は律令制にもとづく播磨国の成立以前,明石国造,針間鴨国造,針間国造の3国造がいたとする。播磨東部,加古川流域,市川,揖保川流域をそれぞれ勢力範囲としたのであろう。大和朝廷は縮見(しじみ),牛鹿,飾磨,越部などの屯倉(みやけ)や,日下部,矢田部,私(きさい)部,湯坐(ゆえ)部,山部,海(あま)部などの部民を置いて,勢力の浸透をはかった。…

※「揖保川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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