正倉院文書(読み)しょうそういんもんじょ

百科事典マイペディア 「正倉院文書」の意味・わかりやすい解説

正倉院文書【しょうそういんもんじょ】

現奈良県奈良市の正倉院伝来した奈良時代の古文書群。江戸時代後期以来の整理を経て,現在は正集45巻・続修50巻・続修後集43巻・続修別集50巻・塵芥文書39巻3冊・続々修440巻2冊に整理・成巻されており,この整理の途中で流出したものの存在も知られる。広義には正倉院宝物に付随して伝わった献物(けんもつ)帳・出納文書・丹裹(たんか)文書なども正倉院文書と称する場合があり,このうちには平安・鎌倉時代のものも含まれる。また宝庫に納められている東南院文書112巻を正倉院文書に含めることもあるが,東南院文書は東大寺印蔵に伝わった文書が明治初年に皇室に献納されたことによって正倉院に納められたもので,伝来を異にするものである。 中核をなす奈良時代の古文書は,東大寺写経所で使用された多種・多様の公文(くもん)(公文書)である。東大寺写経所は光明皇后の皇后宮職写経所から発展し,造東大寺司(ぞうとうだいじし)成立後はその下に付属した。736年頃からの写経事業の活発化に伴い,充本帳・充紙帳・充筆墨帳・雑物収納帳・校帳・布施帳・食口帳・食物用帳など大量の帳簿・文書が作成された。これらは写経所の組織・財政・運営のみならず,写経生の記した休暇願(請暇解)・借金証文(借銭解)などで,当時の社会生活をかいま見ることのできる貴重な資料となっている。また帳簿等の多くは不要となった料紙を利用して作成されており,そのなかには写経所の反故(ほご)だけでなく,各官庁から反故として払い下げられたものも多い。この紙背文書のうちには御野(みの)・筑前豊前豊後・下総の各国の戸籍,計帳・正税帳(しょうぜいちょう)・封戸租交易帳(ふこそこうえきちょう)・輸租帳輸庸帳・義倉帳などがあり,いずれも奈良時代の社会・経済の様相を伝える第一級の史料である。正倉院文書の整理事業は1836年の穂井田忠友(ほいだただとも)による整理と正集編集に始まり,明治初年以降本格化した。1876年からは浅草文庫で続修が整理され,さらに内務省,宮内省御物整理掛によって塵芥文書・続修後集・続修別集・続々修が整理された。これを受けて1901年からは〈大日本古文書〉編年文書の刊行が始められ,1940年全25冊が完結した。だが初期の整理方法は紙背文書を主眼として行われたため,本来の東大寺写経所文書としての姿は著しく損なわれ,文書断簡の接続復原などにより,再整備・再構成の作業が進められている。
→関連項目粟鹿神社印章画指具注暦写経所朱肉正税帳東大寺文書那須温泉郷寧楽遺文

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「正倉院文書」の意味・わかりやすい解説

正倉院文書
しょうそういんもんじょ

東大寺正倉院の校倉(あぜくら)に伝来した8世紀の造東大寺司(ぞうとうだいじし)写経所の古文書。この写経所は、736年(天平8)ころから活動を始めた聖武(しょうむ)天皇の皇后光明子(こうみょうし)の皇后宮職(しき)の写経所が発展したもの。天平(てんぴょう)12年5月1日の願文のある五月一日経(光明皇后願経)など宝亀(ほうき)年間(770~780)までたびたび行われた写経事業に関する文書・帳簿が大部分を占める。当時事務用に反故紙(ほごがみ)を用いて紙を節約することが多かったので、写経所の文書・帳簿にも、政府から払い下げられた戸籍(大宝(たいほう)2年〈702〉御野(みの)・筑前(ちくぜん)・豊前(ぶぜん)・豊後(ぶんご)国、養老(ようろう)5年〈721〉下総(しもうさ)国)、計帳(天平年間〈729~749〉の山背(やましろ)国など)、正税(しょうぜい)帳(天平年間の大倭(やまと)国など)などの官文書や、法華寺(ほっけじ)・興福寺・石山寺などの造営文書などさまざまな紙が利用されており、紙背(しはい)文書(第一次文書)として残っている。

 正倉院文書は、正史や律令(りつりょう)では知りえない、8世紀の地方行政、家族、建築、手工業、流通経済、社会生活についての具体的な史料を提供している。正倉院文書が校倉に納められて以来、初めて整理され世間に知られるようになったのは1833~36年(天保4~7)の開封修理の際である。そのとき穂井田忠友(ほいだただとも)は二官八省の文書、筆跡などを抜き出して正集45巻に整理した。残された文書は、その後1875~1904年(明治8~37)にかけて、続修50巻、続修後集43巻、続修別集50巻、続々修440巻2冊、塵芥(じんかい)39巻3冊に整理され、合計667巻5冊に編集された。文書総点数は約1万点ともいわれる。その大部分は『大日本古文書』に翻刻され研究に利用されている。

 なお、正倉院にはほかに、献物帳、平安前期の宝物の出納帳、丹裹(にづつみ)文書(丹の包紙に使われた反故文書)が伝来し、8世紀の荘園(しょうえん)絵図やさまざまの器物の墨書銘などの文字資料も多い。また、明治初年、東大寺印蔵から移された東南院(とうなんいん)文書112巻(8世紀の荘園文書多数を含む)も正倉院に収められている。

[石上英一]

『竹内理三編『寧楽遺文』全3巻(1963・東京堂出版)』『正倉院事務所編『正倉院の紙』(1970・日本経済新聞社)』『正倉院事務所編『正倉院の書蹟』(1964・日本経済新聞社)』『松島順正編「正倉院の書跡」(『日本の美術105』1975・至文堂)』『土田直鎮「正倉院文書について」(『国学院大学日本文化研究所紀要』41所収・1978・国学院大学日本文化研究所)』『皆川完一「正倉院文書について」(国立歴史民俗博物館編『正倉院文書展』所収・1985・歴史民俗博物館振興会)』

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世界大百科事典 第2版 「正倉院文書」の意味・わかりやすい解説

しょうそういんもんじょ【正倉院文書】

奈良市正倉院に伝わる奈良時代の古文書。総数約1万点で,《大日本古文書》編年文書25冊に収録された奈良時代の古文書のほとんど全部にあたる。《正倉院文書》は現在,正集45巻,続修50巻,続修後集43巻,続修別集50巻,続々修440巻2冊,塵芥文書39巻3冊,計667巻5冊に整理されているが,整理の途上で巷間に流出したものもあり,その所在の知られるものが数十点ある。《正倉院文書》はこのほか,広義に献物帳,出納文書,丹裹古文書(丹のつつみ紙)など正倉院宝物に付随して伝わった文書を含めることもあるが,出納文書は平安時代のものも残っており,鎌倉時代の1261年(弘長1)を最後とする。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「正倉院文書」の解説

正倉院文書
しょうそういんもんじょ

東大寺の正倉院に伝来した8世紀の天平~宝亀年間を中心とする写経所の事務帳簿群。宮内庁正倉院事務所管理。現在は正集45巻,続修50巻,続修別集50巻,続修後集43巻,塵芥文書39巻3冊,続々修440巻2冊に整理されている。大部分は反古として政府から払い下げられた公文(くもん)の紙背を再利用したもので,その公文には戸籍・計帳・正税帳などがある。「大日本古文書」25冊に翻刻され,関係するものとして「正倉院文書目録」,「正倉院古文書影印集成」正集・続修,「正倉院文書拾遺」がある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「正倉院文書」の解説

正倉院文書
しょうそういんもんじょ

東大寺正倉院に伝わる8世紀の古文書
総数1万2000余点。大部分は写経および寺院造営に関する文書。ほかに詔勅・諸国の戸籍・計帳・正税帳・輸租帳・各官庁の往復文書など多様。いずれも古代史の貴重な文献。

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防府市歴史用語集 「正倉院文書」の解説

正倉院文書

 東大寺の正倉院に保管されていた8世紀の事務帳簿です。戸籍[こせき]や税に関する帳簿が納められています。

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世界大百科事典内の正倉院文書の言及

【紙背文書】より

…それゆえ,紙背文書は意識的に保存すべきものとして伝わった通常の文書とは異なる性格を持ち,その時代の社会の実相をより直接的に伝える貴重なものが多い。 《正倉院文書》中の戸籍,計帳,正税帳等の奈良時代の公文書は,朝廷でほごとされたものが造東大寺司の写経所に下付され,写経所の文書として利用されたために伝来したもので,代表的な紙背文書である。検非違使関係の文書を多数伝える〈三条家本北山抄紙背文書〉や讃岐国戸籍や明法関係文書のみられる〈九条家本延喜式紙背文書〉は,平安中期の紙背文書として著名であり,《中右記》《兵範記》をはじめ鎌倉時代の《民経記》(経光卿記),《勘仲記》(兼仲卿記),《実躬卿記》,南北朝時代の《祇園執行顕詮記》《師守記》,室町時代の《満済准后日記》《実隆公記》《言継卿記》など,貴族・僧侶の日記は,みな豊富な紙背文書を持っている。…

【書】より

…聖武天皇が書写させた紫紙金字の《国分寺経》(《紫紙金字経》)はその代表的なもので,縦長の欧法の字形は正方形に近くなり,潤いを帯びた線質は唐経には見られないところである。 写経以外の書としては《正倉院文書》と木簡を忘れてはならない。これらには当時の知識階級の日常の書体がみられるからである。…

【穂井田忠友】より

…梶野が奈良奉行になると居を奉行所の中に移し,33年(天保4)より36年までの正倉院宝庫の修理の際に宝物の調査に従事した。《正倉院文書》正集45巻の整理と《東大寺文書》の調査により,各種の写本を作って流布させたことは,奈良時代の古文書をはじめて紹介したものとして功績は大きい。47年9月19日京都で没。…

※「正倉院文書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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