風土記(読み)ふどき

精選版 日本国語大辞典 「風土記」の意味・読み・例文・類語

ふど‐き【風土記】

[1] 〘名〙 諸国風土、伝説、風俗などを記した地誌。
随筆・西遊記(新日本古典文学大系所収)(1795)序「国々の風土記といへるも大かたほころびたれば、其由もまたしられず」
[2] 古代官撰地方誌。和銅六年(七一三律令国家の命により各国地名整理、物産品目、土地の肥沃状態、地名の由来、旧聞伝承について各国庁が報告した公文書(解(げ))。漢文体、変体漢文体など国により文体は異なる。現存するのは完本である出雲国と、省略欠損のある常陸播磨豊後肥前国の五か国。逸文が「釈日本紀」「万葉集註釈」などに三十数か国分収められている。各国の官命解釈により内容記載特色が出ている。和銅の正本は多く散失したらしく、延長三年(九二五)再び太政官符によって再提出が命じられている。後世のものと区別して「古風土記」ともいう。古代の地理・文化などが知られるとともに、「古事記」「日本書紀」に組み込まれない地方独自の神話・伝説・歌謡などを知る上でも貴重。

ふうど‐き【風土記】

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デジタル大辞泉 「風土記」の意味・読み・例文・類語

ふど‐き【風土記】

地方別にその風土・文化その他について記した書物。
奈良時代の地誌。和銅6年(713)元明天皇の詔により、諸国の産物・地形・古伝説や地名の由来などを記して撰進させたもの。現存するのは、完本の出雲と、省略欠損のある常陸ひたち播磨はりま肥前豊後ぶんごの5か国のもの。上代の地理・文化を知るうえで貴重。後世のものと区別するため、古風土記ともいわれる。

ふうど‐き【風土記】

ふどき(風土記)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「風土記」の意味・わかりやすい解説

風土記
ふどき

地方誌的文書。713年(和銅6)5月の「郡内ニ生ズル所ノ銀銅彩色草木禽獣(きんじゅう)魚虫等ノ物、具(つぶ)サニ色目(しきもく)ニ録シ、及ビ土地ノ沃塉(よくせき)、山川原野ノ名号ノ所由、又古老相伝フル旧聞異事ハ、史籍ニ載セテ言上セヨ」(続日本紀(しょくにほんぎ))との命令によって編述されたもの(甲)、925年(延長3)12月の太政官符(だいじょうかんぷ)によって進上ないし新たに制作されたもの(乙)とが有名である。(甲)の風土記としては『出雲(いずも)国風土記』『常陸(ひたち)国風土記』『播磨(はりま)国風土記』『肥前国風土記』『豊後(ぶんご)国風土記』が代表的であり、(乙)は国庁(国の役所)で保管された旧文書を主とする。ただし前掲の五風土記以外の多くは逸文でしか残っていない。「風土記」という書名は、中国では後漢(ごかん)の盧植(ろしょく)の『冀州(きしゅう)風土記』をはじめとして『晋書(しんじょ)』『隋書(ずいしょ)』などにみえているが、日本で「風土記」という書名が用いられるようになるのは、平安時代に入ってからである。奈良時代の場合は「解(げ)」(上申文書)の形をとっている。

 現在に伝えられている「風土記」のなかで、唯一の完本は『出雲国風土記』であって、733年(天平5)に成立した。勘造者を秋鹿(あきか)郡人神宅臣(みやけのおみ)金太理(かなたり)、国造(くにのみやつこ)兼意宇(おう)郡大領(たいりょう)出雲臣広島(ひろしま)とする。出雲在地の独自の神話伝承などを記し、天皇巡幸伝承がみえないなど、注目すべき特色を保有する。『播磨国風土記』は巻首と明石(あかし)郡、赤穂(あかほ)郡の記事を欠き(ただし明石郡には逸文がある)、賀古郡についても欠損部分がある。713年に比較的近い時期の成立と考えられている。『常陸国風土記』は白壁、河内(かふち)両郡はなく、新治(にいはり)から多珂(たか)郡までの八郡には省略が多い。718年(養老2)までの筆録をもとに、722、723年ごろに編述が完成したものと推定されている。『肥前国風土記』および『豊後国風土記』には巻首および各郡首はあるけれども、各郡の記事は不完全であり、732年以後数年の間に編集されたものとみなされている。

 五風土記のなかでもっとも注目すべきものは『出雲国風土記』で、その編述の責任者が、在地の出雲臣広島と秋鹿郡の人神宅臣金太理であったことは見逃せない。播磨・常陸の風土記のように国司層、肥前・豊後の風土記のように大宰府(だざいふ)の官僚らによって編述されたものとは趣(おもむき)を異にしている。とくに『肥前国風土記』や『豊後国風土記』が、『日本書紀』の文によって地方の伝承を付会している点などは、風土記をすべて地方独自の地方誌的文書と即断しえないことを物語る。在地の氏族と中央派遣の官僚らの手になる「風土記」との間には、その内容に相違がある。

 なお、以上の「古風土記」に対し、江戸時代にも『新編武蔵(むさし)国風土記稿』『新編会津(あいづ)風土記』『紀伊続風土記』など、風土記と称するものが各地で編纂(へんさん)された。

[上田正昭]

『秋本吉郎校注『風土記』(『日本古典文学大系2』1958・岩波書店)』『上田正昭編『日本古代文化の探究 風土記』(1975・社会思想社)』『吉野裕著『風土記』(1969・平凡社)』


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百科事典マイペディア 「風土記」の意味・わかりやすい解説

風土記【ふどき】

713年元明(げんめい)天皇の詔をうけ諸国が作成した地誌の総称。郡郷の地名の由来・地形・産物・古伝説などを調査し中央政府に報告。大半は現存しないが,天平5年(733年)2月30日の日付のある《出雲国風土記》が完全に現存。常陸(ひたち)・播磨(はりま)・豊後(ぶんご)・肥前(ひぜん)のものが部分的に残る。
→関連項目出雲神話出雲国宇治牛窓津大国主神元明天皇釈日本紀続浦島子伝記値賀島塵袋

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「風土記」の意味・わかりやすい解説

風土記
ふどき

広く地誌一般をさすこともあるが,文学史では和銅6 (713) 年の官命に基づいて編纂された各国別のいわゆる「古風土記」をいう。内容として,郡郷の名に好字をつけること,郡内の産物を具体的に記すこと,土地の沃瘠 (よくせき) ,山川原野の名の由来,古老相伝の旧聞異事を記すことの5点が要求されている。諸国の風土記はおおむね天平年間 (729~749) までに編纂されたとみられるが,その後中央に提出されたものは滅び,延長3 (925) 年に再提出の命が出ている。現存するのは常陸,出雲,播磨,豊後,肥前の5国で,このうち『出雲国風土記』だけが完本。ほかに二十余国の逸文が採集されている。 (→播磨国風土記 , 肥前国風土記 , 常陸国風土記 , 豊後国風土記 )  

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世界大百科事典 第2版 「風土記」の意味・わかりやすい解説

ふどき【風土記】

奈良の地に壮大な都城(平城京)が造営され,大化改新後の地方制度も整備された元明天皇時代に,諸国の国司・郡司を総動員して作成させた郷土誌的文書をいう。中国の制度文物の移植に熱心な時代だから,中国で多く作られた地誌類に範をとったものであろうが,とくに南北中国を統一した隋代に《諸郡物産土俗記》151巻があったということ(《隋書》経籍志)は,もっとも注意さるべきであろう。 《続日本紀》和銅6年(713)5月2日条に〈畿内七道諸国は,郡郷の名は好き字を著け,その郡内に生ずるところの銀銅,彩色,草木,禽獣,魚虫等の物は具(つぶさ)にその品目を録し,及び土地の沃塉(よくせき),山川原野の名号の所由(いわれ),また古老相伝の旧聞異事は,史籍に載せて言上せよ〉とある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「風土記」の解説

風土記
ふどき

奈良時代に国別に編纂された地誌。713年(和銅6)に,各国の郡郷名に好字をつけることを命じるとともに,国内の産物や地味,地名の由来や古老の伝える昔話などを報告するよう官命が下り,諸国ではこれをうけて解(げ)のかたちで上申した。これらの解文,あるいは各国に残されたその副本が,中国の地誌の名称の影響で風土記と称された。現在まとまったかたちで残るのは,常陸・出雲・播磨・肥前・豊後の5カ国の風土記で,このほか二十数カ国の風土記の逸文が諸書に引用される。内容はほぼ上記の官命に対応するが,「古事記」「日本書紀」とは異なる地方独自の神話・伝説なども含まれ,古代の地方社会を知るうえで貴重である。「日本古典文学大系」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「風土記」の解説

風土記
ふどき

奈良初期,最古の地誌
713年元明天皇が諸国に編集を命じ,各地の産物・地理・地名の由来・伝承などを漢文で記載。現存するのは常陸 (ひたち) ・出雲・播磨・豊後・肥前の5風土記で,出雲だけが完本。奈良時代の貴重な史料である。

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世界大百科事典内の風土記の言及

【神道】より

…《古事記》や《日本書紀》の神話は,たしかに神道的な諸観念をよくあらわしているが,神々の祭りに際して,記紀の神話が教典として読誦されるようなことはなかった。《古語拾遺》や《風土記》も教典とされ,中世では《先代旧事本紀》も重んぜられた。しかし,それらは古典に対する知識を持つ神官の間で尊重されただけで,庶民が記紀の神話を教典として読んだわけではない。…

【地方志】より

…中国全体の地理書を総志と呼ぶのに対する。後漢時代以降,簡単な地図を伴った郡や国の地理的叙述,〈図経(ずけい)〉が作られ,また特定地方の山川,風俗,古跡などを記載した〈風俗伝〉や〈風土記〉と呼ばれる地理書が出現した。いずれも地方志の原型といえる。…

【地名】より

…たとえば江戸時代に,江戸や越後の人にとってはともに〈大川〉と呼ばれていた川が隅田川,信濃川と命名され,また日本中の人が知る地名となっていったのである。
【日本】

[研究の足跡]
 《古事記》《日本書紀》や各風土記などが,すでに地名の存在を重要視し,数多くの地名説話を記載している。風土記のごときは,編纂要項に〈山川原野〉の名義について明記することを規定し,国,郡,郷名にいたるまで説話の羅列に終始した。…

【日本音楽】より


[第1期]
 原始日本音楽時代 楽器の出土例がみられる弥生時代から飛鳥時代までにあたるが,楽曲や楽譜が残っていないので明確にはわからない。《古事記》《日本書紀》《風土記》《万葉集》《隋書》倭国伝などの文献中の断片的な記事や,少数の楽器やその演奏を写した埴輪(はにわ)などの出土品により,また日本周辺の原始的姿をとどめる音楽(台湾の原住民の音楽,南洋諸島の音楽)やアイヌ音楽などとの比較類推により,想像するほかはなく,次のように結論されている。歌謡中心の音楽で,伝承歌謡のほかに即興歌謡も多く行われた。…

※「風土記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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