小矢谷村(読み)こやたにむら

日本歴史地名大系 「小矢谷村」の解説

小矢谷村
こやたにむら

[現在地名]勝山市平泉寺へいせんじ町小矢谷

六呂師ろくろし高原西側、谷状の緩斜面に位置し、南は大矢谷おおやたに村。村名は正保郷帳にみえ、田方五九石余・畠方八斗余。なお慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に「大矢谷村 小谷共ニ」として高三一六石余が記され、当村はかつて大矢谷村に含まれ、小谷こたにとよばれていたと推定される。慶長五年から福井藩領、寛永元年(一六二四)勝山藩領、正保元年(一六四四)幕府領で福井藩預地、貞享三年(一六八六)幕府直轄領、元禄四年(一六九一)以降勝山藩領となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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