小見野郷(読み)おみのごう

日本歴史地名大系 「小見野郷」の解説

小見野郷
おみのごう

市野いちの川の下流右岸、現川島町上小見野・下小見野を遺称地とし、一帯に比定される。小美濃・尾美野などとも記した。児玉党系図(諸家系図纂)によると浅羽小太夫行業(入西資行の子)の子四郎盛行が小見野氏を名乗っている。建久元年(一一九〇)一一月、源頼朝が上洛した際の後陣随兵三一番に小見野四郎の名がみえる(「吾妻鏡」同月七日条)。享徳二年(一四五三)四月一〇日の十郎三郎目安案(鑁阿寺文書)によると、この頃当郷および八林やつばやし郷と、近隣の戸守ともり郷との間で用水争論が起こっている。この用水都幾とき川の水を長楽ながらく付近で取入れるもので、上流にあたる戸守郷が用水を止めたために「尾美野・八林」両郷が武蔵国府中(守護所)に訴えたものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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