川島町(読み)かわじままち

日本歴史地名大系 「川島町」の解説

川島町
かわじままち

面積:四一・七二平方キロ

東松山市によって東西に二分された比企郡のうち、東部の南半を占める。荒川沿いの低地に位置し、かつては蛇行する荒川流路に、市野いちの川・都幾とき川・越辺おつぺ川・入間いるま川などが流入していた所とみられる。発達した自然堤防と広い後背地が顕著である。集落はおもに自然堤防上に成立、古代遺跡も自然堤防上に多くみられ、稲荷塚いなりづか古墳群などがある。東は大宮台地上の北本市・桶川市・上尾市、南は川越市、西は坂戸市、北は東松山市・吉見よしみ町にいずれも前出五河川を境として接し、これら市・町とは橋をもって結ばれている。町の西部を縦断する国道二五四号の落合おちあい橋は入間川小畔こあぜ川・越辺川などが落合う所に架かり町の玄関口にも相当するが、橋上からは広い河川敷が眺められ、川島という地名の成因をも連想させる。

中世、町域には三尾谷みおのや戸守ともり小見野おみの八林やつばやし井草いぐさなどの郷が成立、ほかに土袋つちふくろ(吾妻鏡・報恩寺年譜)などの郷名が史料に散見する。「平家物語」には三尾谷郷を名字の地とした水尾谷(三尾谷)氏の活躍が描かれる。また「吾妻鏡」では同氏のほかに小見野郷を名字の地とする小見野四郎などの名もみえる。四囲を河川がめぐる地であったが、用水の便は悪かった。享徳年中(一四五二―五五)には戸守(戸森)郷と小見野(尾美野)郷などの間で用水争いが生じている。


川島町
かわしまちよう

面積:一七・六九平方キロ

郡の中央部、吉野川中流域南岸に位置する。東は鴨島かもじま町、南は美郷みさと村、西は山川やまかわ町、北は吉野川を挟んで阿波郡市場いちば町・阿波町に接する。町域の南部は四国山地とそれに続く洪積台地、北部は沖積平野と吉野川の中洲である善入寺ぜんにゆうじ島の南部(地番はない)となっている。南部の山地から流れ出る小河川を集めた学島がくしま川と桑村くわむら川は北部の平野部を東流し、吉野川に合流している。町の北部をJR徳島線と国道一九二号がほぼ並行して東西に走っており、主要地方道津田つだ―川島線が一九二号から北へ延びている。町域南部の山麓地帯からは旧石器―弥生時代の遺物が多数発見されており、川島銅鐸(発見地は諸説ある)も出土している。また大字桑村とがくには六世紀中・後期の古墳群が存在するなど、かなり古い時期から開発が進んでいたことがうかがわれる。

律令制下では麻殖おえ郡川島郷(和名抄)の郷域であったと推定される。桑村には延喜式内社に比定される伊加々志いかがし神社があり、JR川島駅近くの大日だいにち寺跡からは白鳳期と推定される瓦が出土している。中世の庄園としては「吾妻鏡」の文治二年(一一八六)六月九日条にみえる山田やまだ庄を大字山田一帯に、同書寿永三年(一一八四)四月六日条にみえる小嶋こじま庄を大字児島こじま一帯に比定する説もあるが、不詳。また大字宮島みやのしまにあった浮島うきしま八幡宮の寛永六年(一六二九)の再建棟札に「川島保内 八幡宮」とあることから、一帯に国衙領川島保が存在したとする説もある。


川島町
かわしまちよう

面積:八・〇〇平方キロ

郡の東部に位置し、町中央を木曾川本流が流れる。北は同川北派流を挟んで笠松かさまつ町・各務原かかみがはら市、南は同川南派流を挟んで愛知県一宮市・江南市。木曾川乱流地帯の川中島で、笠松町とは川島大橋、一宮市とは河田こうだ橋などで結ばれる。天正一四年(一五八六)の木曾川筋氾濫前は尾張国葉栗はぐり郡に属し、河沼かわぬ(和名抄)に比定される。地名川島は、「尾張国風土記」逸文に「葉栗の郡、川嶋の社河沼の郷の川嶋の村にあり」とみえ、「川嶋の社」は「延喜式」神名帳の葉栗郡に記されている。現在同社に比定される神社は複数あり、どの神社かは確かでない。中世には上門間かみかどま本庄ほんじよう郷・東門間庄に含まれたとみられる。天正一四年以降、木曾川がほぼ現在の流路に固定されるに伴い美濃国に編入され、羽栗はぐり郡となる。


川島町
かわしままち

[現在地名]川島町川島

現川島町域の北東部、北東流する吉野川の右岸に位置する。町の西部を桑村くわむら川が北流し、当地で吉野川に注ぐ。南西は宮島みやのしま村、東から南は桑村。河島とも記し、古代麻殖おえ郡川島郷(和名抄)の遺称地とされる。地内に戦国期―近世前期の川島城がある。吉野川沿いに伊予街道が横断、また吉野川舟運の良港である川島浜がある交通の要衝で、近世初期には川島城の城下として、その後も一帯の物資の集散地として繁栄した。地内神後じんご坂には伊予街道の一里松もあり、一種の宿場町の観を呈していた。宮島村にあった浮島うきしま八幡宮(現在は地内川島神社に合祀)の寛永六年(一六二九)の再建棟札(社蔵)に「川島保内 八幡宮」とあることから、中世には川島保が成立していたとする説もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川島町」の意味・わかりやすい解説

川島〔町〕
かわじま

埼玉県中部,荒川,入間川,越辺 (おっぺ) 川に囲まれた町。 1954年中山,伊草 (いぐさ) ,三保谷 (みほや) ,出丸 (でまる) ,八ッ保 (やっほ) ,小見野 (こみの) の6村が合体して川島村となり,72年町制。水田地帯で,かつては水害が頻発。農業が中心で米,ムギをはじめ野菜,花卉栽培や畜産も行われる。川越市の北に接し,現在は住宅地化が進んでいる。町の中央部にある広徳 (こうとく) 寺の茅ぶきの大御堂は重要文化財。面積 41.63km2。人口 1万9378(2020)。

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