尾張藩上屋敷跡(読み)おわりはんかみやしきあと

日本歴史地名大系 「尾張藩上屋敷跡」の解説

尾張藩上屋敷跡
おわりはんかみやしきあと

[現在地名]新宿区市谷本村町

明暦の大火後の明暦三年(一六五七)それまで江戸城の郭内にあった尾張藩徳川家の上屋敷は市谷御門外西方の台地上にあたる当地に移転、以後明治維新まで続いた。尾張藩徳川家が当地を拝領するのは明暦二年で、拝領当初の面積は約五万五千坪(田舎間)である。同家拝領以前の当地は京都所司代板倉重宗の下屋敷を中心に、組屋敷や寺院境内であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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