日本歴史地名大系 「市谷本村町」の解説 市谷本村町いちがやほんむらちよう 東京都:新宿区旧四谷区地区市谷本村町[現在地名]新宿区本塩町(ほんしおちよう)・市谷本村町四谷坂(よつやさか)町の東、尾張藩市谷上屋敷の南に位置し、同屋敷表前の通り(現靖国通)に北面する片側町。南は先手同心組屋敷。町内は東西の二ヵ所に分れ、ほかに市谷上寺(いちがやうえてら)町の西側に飛地がある。また西方に離れた法光(ほうこう)寺の北隣に代地があったとされるが(嘉永三年尾張屋版切絵図・明治四年東京大絵図)、沿革図書では「見取年貢地」となっている。東側の町屋の間数は、東西間口が表裏とも四四間余、南北裏行は東の方で一二間余、西の方で三間余。西側の町屋は東西間口が表裏とも三一間余、南北裏行は東の方で一〇間余、西の方で七間。飛地は東西表間口九間余(裏幅三尺)、南北裏行は九間であった。 市谷本村町いちがやほんむらちよう 東京都:新宿区旧牛込区地区市谷本村町[現在地名]新宿区市谷本村町・本塩町(ほんしおちよう)市谷本村町は江戸時代に尾張藩上屋敷の南に位置した町屋。明治五年(一八七二)に旧尾張藩上屋敷や先手組屋敷ほか近隣の土地などを編入し、同一一年には牛込区に所属。同一三年、旧町屋の市谷本村町の地や旧先手組屋敷の一部など、町域の南西部(現本塩町)は四谷区に移管。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by