コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

極東国際軍事裁判 きょくとうこくさいぐんじさいばん International Military Tribunal for the Far East

5件 の用語解説(極東国際軍事裁判の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

極東国際軍事裁判
きょくとうこくさいぐんじさいばん
International Military Tribunal for the Far East

第2次世界大戦における日本の戦争犯罪を追及した裁判で,東京裁判とも呼ばれる。 1945年9月 11日,GHQ (→連合国総司令部 ) は東条英機ら 39名の逮捕を命じたのをはじめとして国内だけで 1000名以上の者が戦犯容疑で逮捕されていたが,46年1月 19日,連合国最高司令官 D.マッカーサー戦争犯罪 (平和・人道に対する罪戦争法規違反の罪) を審理処罰するための「極東国際軍事裁判所の設立に関する命令」を発し,これに基づいて同年4月 28日,A級戦犯容疑 28名に関する起訴状が発表され,同5月3日裁判が開始された。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

きょくとう‐こくさいぐんじさいばん【極東国際軍事裁判】

第二次大戦後、ポツダム宣言に基づき、東京に置かれた極東国際軍事裁判所で、日本の主要な戦争犯罪人に対して行われた裁判。1946~48年まで審理が行われ、死亡・精神異常による免訴3名を除く被告25名全員が有罪とされ、うち東条英機ら7名は絞首刑。東京裁判。→戦争犯罪A級戦犯ニュルンベルク裁判

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

極東国際軍事裁判【きょくとうこくさいぐんじさいばん】

東京裁判

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

大辞林 第三版の解説

きょくとうこくさいぐんじさいばん【極東国際軍事裁判】

第二次大戦における日本の主要戦争犯罪人の審理および処罰を目的として、連合国により東京で行われた国際裁判。オーストラリアのウェッブを裁判長とする一一か国一一名の裁判官と、アメリカのキーナンを首席とする検事団のもとに、東条英機をはじめ二八名が A 級戦犯として起訴された。1946年(昭和21)5月3日に審理開始、48年11月12日に絞首刑七名、無期禁錮一六名、有期禁錮二名の判決が下された(死亡・精神異常による免訴三名)。通常の戦争犯罪のほか、平和に対する罪および人道に対する罪によって裁かれた。東京裁判。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

極東国際軍事裁判
きょくとうこくさいぐんじさいばん
International Military Tribunal for the Far East

通称は東京裁判。第二次世界大戦後、ドイツニュルンベルクナチス・ドイツの戦争指導者に対する国際軍事裁判が行われたのと対応して、連合国が日本の重大戦争犯罪人に対して行ったのが極東国際軍事裁判である。
 1945年(昭和20)8月14日、わが国が受諾したポツダム宣言は、「いっさいの戦争犯罪人に対して厳重な処罰を加える」と述べ、同年9月2日署名の降伏文書で、わが国はこの宣言の誠実な履行を約束した。実際に46年1月19日に連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーは、極東国際軍事裁判所設立に関する特別宣言を発し、これに付属する極東国際軍事裁判所条例に基づいて裁判を行うことを命じた。条例によれば、この裁判所は、連合国のなかの12か国から申し出られた者のなかから6名以上11名以下の裁判官で構成するものとされ、実際に、オーストラリアのウェッブ裁判長はじめ11名の裁判官が最高司令官によって任命された。戦争犯罪人に対する被疑事実を調査し訴追する職責をもつ主席検察官としてはアメリカのキーナンが任じられ、彼は38名の部下を率い、いわゆるキーナン検事団を構成して任務にあたった。そのほかに、いずれの連合国も参与検察官1名を出すことができるものとされた。被告人は弁護人を選任することができたが、他方で裁判所はいつでも弁護人を否認することができるものとされた。実際に、鵜沢(うざわ)総明をはじめとする28名の日本人弁護人と、コールマンをはじめとする22名のアメリカ人弁護人団が被告人によって選任せられた。
 1946年4月29日、11か国の連合国の名による起訴状が裁判所に提出され、東条英機(とうじょうひでき)をはじめ28名が、重大戦争犯罪人(A級戦犯)として起訴された。5月3日、東京の市谷(いちがや)旧陸軍士官学校大講堂を改装してつくられた法廷で裁判が開始せられ、48年4月16日に審理が終了し、同年11月4日に判決文の朗読が始まり、11月12日に刑の言渡しが行われた。裁判の途中で死亡した松岡洋右(ようすけ)、永野修身(おさみ)、および精神障害のため起訴を取り消された大川周明(しゅうめい)を除き、被告人全員が有罪とされ、7名が絞首刑、16名が終身禁錮刑、2名が有期禁錮刑に処せられた。
 条例によると裁判所は、平和に対する罪(宣戦を布告した、もしくは布告しない侵略戦争、または国際法、条約、協定もしくは保証に違反した戦争の計画、準備、開始もしくは実行、またはこれらの行為のいずれかを達成するための共通の計画もしくは共同謀議への参加)、通例の戦争犯罪(戦争法規または戦争慣例の違反)、および人道に対する罪(戦前または戦時中になされた殺人、殲滅(せんめつ)、奴隷的虐使、追放その他の非人道的行為、または人種的理由に基づく迫害行為)について管轄権を有するものとされたが、これと対応して起訴状は55の訴因をあげ、被告人それぞれに該当する訴因について罪状を述べた。419人の証人が証言台に立ち、779通の宣誓口供(こうきょう)書を含む4336通の書証が証拠として受理され、事実関係について審理が行われた。とくに法律的な争点としては、(1)連合国は、平和に対する罪について裁判に付しうると指定する権能をもつか。戦勝国だけがこのような裁判を行うのは平等原理に反しないか。(2)侵略戦争は不戦条約によっても刑事犯罪とはされていないのではないか。(3)戦争は国家の行為であり、個人に責任が帰属するとは考えられないのではないか。(4)裁判所条例の規定は事後法であり、事後法による処罰は許されないのではないか。(5)ポツダム宣言にいう戦争犯罪人とは、従来の通常の戦争犯罪を前提とした概念ではないか。(6)戦争遂行過程での殺害行為は違法といえないのではないか。(7)部下の行為について上官に刑事責任が帰属するとはいえないのではないか、などがあった。
 しかし裁判所の判決は、これらの点について検察官の主張を支持し、裁判所の管轄権を肯定し、起訴事実の認定を詳しく行い、侵略戦争は遂行され、遂行のための共同謀議が存在し、捕虜の福祉は完全に無視されたと結論した。判決文は英文にして1212ページに及んだ。インドのパル裁判官は、これを上回る長文の反対意見を述べ、全被告人を無罪とすべきことを主張した。そのほかにウェッブ裁判長は、ニュルンベルク裁判との均衡上、日本人被告人は死刑に相当するとはいえないという趣旨、フランスのベルナール裁判官は、法廷が全容疑者を裁けず、天皇が裁かれなかったのは遺憾であるという趣旨、オランダのレーリング裁判官は、畑俊六(はたしゅんろく)、広田弘毅(こうき)、木戸幸一、重光葵(しげみつまもる)、東郷茂徳(とうごうしげのり)の被告人については無罪という趣旨、フィリピンのジャラニーラ裁判官は、若干の被告人について量刑が寛大すぎるという趣旨の個別意見または反対意見をそれぞれ提出した。
 東京裁判はニュルンベルク裁判と並んで、侵略戦争の遂行に関与した戦争指導者が個人的に訴追され処罰された初めての例として国際法史上重要な意味を有する。[石本泰雄]
『児島襄著『東京裁判』上下(1971・中央公論社) ▽朝日新聞法廷記者団編『東京裁判』全3巻(1962・同書刊行会) ▽R・H・マイニア著、安藤仁介訳『勝者の裁き』(1972・福村出版) ▽大沼保昭著『東京裁判から戦後責任の思想へ』(1985・有信堂)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の極東国際軍事裁判の言及

【鵜沢総明】より

…日比谷焼打事件(1905)の弁護人となり注目を浴び,その後,日糖事件,大逆事件,シーメンス事件,森戸事件,浜口首相狙撃事件,血盟団事件,帝人事件をはじめ数多くの大事件の弁護人として活躍し,花井卓蔵と並び称される名声を博した。第2次大戦後も極東国際軍事裁判の弁護団長として東洋思想に立脚する最終弁論を行うなど活躍した。また,1908年から政友会系の衆議院議員,続いて貴族院議員として活動したが,相沢事件の弁護を担当したことから軍部の圧迫をうけ,36年貴族院議員を辞職した。…

【太平洋戦争】より

…ところが敗戦後の日本人は,みずからの手で戦争責任を厳しく追及することなく,今日に及んでいる。 連合国によって開廷された東京裁判(極東国際軍事裁判)(1946年5月3日~48年11月12日)は,(1)国際連盟,不戦条約,国際連合,日本国憲法第9条などに体現されてきた戦争を違法とする世界史の流れのなかで,〈共同謀議の罪〉という犯罪類型を導入し,初めて国家指導者の個人的な刑事責任を追及したこと,(2)〈平和に対する罪〉という新しい構成要件をつくりあげ,それを構成要件の筆頭にすえたこと,(3)〈文明の裁き〉というたてまえのもとに,〈殺人〉と〈通例の戦争犯罪および人道に対する罪〉を第2,第3の構成要件とし,十五年戦争の侵略的性格と日本軍の野蛮な残虐行為を具体的な証拠に基づいて白日のもとに暴露したこと,の3点において画期的な意義を有していた。しかし同時にこの軍事裁判は,(1)戦争の当事者である戦勝国が戦敗国を一方的に裁くという〈勝者の裁き〉であったばかりでなく,裁く側に過去4世紀に及ぶ過酷な植民地支配,アメリカによる原爆投下と都市無差別爆撃の戦時国際法違反,ソ連による日ソ中立条約侵犯と日本人捕虜のシベリア抑留問題などの汚点と弱点があったこと,(2)〈平和に対する罪〉は戦争違法観と指導者責任観とが結合されて第2次世界大戦末期に成立したが,これによって個人を重罰に処したことは法理上問題があり,また〈共同謀議〉という英米法でも問題の多い法概念で1928‐45年の事実を裁くことには無理があったこと,(3)裁判が事実上アメリカの日本占領政策の一環として行われたため,天皇の不起訴,真珠湾攻撃の観点が優越した被告人の選定,A級戦犯の責任追及の途中打切りなどの不十分な結果をもたらしたこと(戦犯),(4)日本の民衆の侵略戦争への荷担の責任がまったく問題にされなかったこと,などの弱さを有していた。…

【東京裁判】より

…正式の名称は極東国際軍事裁判International Military Tribunal for the Far East。日本の戦前・戦中の指導者28名の被告を〈主要戦争犯罪人〉(A級戦犯)として,彼らの戦争犯罪を審理した国際軍事裁判。…

※「極東国際軍事裁判」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

極東国際軍事裁判の関連キーワード尾崎咢堂思春期遅発症第二次産業第二次集団第二次性徴二次産業ハリーSトルーマン二次式メソサイクル二次的自然

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

極東国際軍事裁判の関連情報