通称は東京裁判。第二次世界大戦後、ドイツのニュルンベルクでナチス・ドイツの戦争指導者に対する国際軍事裁判が行われたのと対応して、連合国が日本の重大戦争犯罪人に対して行ったのが極東国際軍事裁判である。
1945年(昭和20)8月14日、わが国が受諾したポツダム宣言は、「いっさいの戦争犯罪人に対して厳重な処罰を加える」と述べ、同年9月2日署名の降伏文書で、わが国はこの宣言の誠実な履行を約束した。実際に46年1月19日に連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーは、極東国際軍事裁判所設立に関する特別宣言を発し、これに付属する極東国際軍事裁判所条例に基づいて裁判を行うことを命じた。条例によれば、この裁判所は、連合国のなかの12か国から申し出られた者のなかから6名以上11名以下の裁判官で構成するものとされ、実際に、オーストラリアのウェッブ裁判長はじめ11名の裁判官が最高司令官によって任命された。戦争犯罪人に対する被疑事実を調査し訴追する職責をもつ主席検察官としてはアメリカのキーナンが任じられ、彼は38名の部下を率い、いわゆるキーナン検事団を構成して任務にあたった。そのほかに、いずれの連合国も参与検察官1名を出すことができるものとされた。被告人は弁護人を選任することができたが、他方で裁判所はいつでも弁護人を否認することができるものとされた。実際に、鵜沢(うざわ)総明をはじめとする28名の日本人弁護人と、コールマンをはじめとする22名のアメリカ人弁護人団が被告人によって選任せられた。
1946年4月29日、11か国の連合国の名による起訴状が裁判所に提出され、東条英機(とうじょうひでき)をはじめ28名が、重大戦争犯罪人(A級戦犯)として起訴された。5月3日、東京の市谷(いちがや)旧陸軍士官学校大講堂を改装してつくられた法廷で裁判が開始せられ、48年4月16日に審理が終了し、同年11月4日に判決文の朗読が始まり、11月12日に刑の言渡しが行われた。裁判の途中で死亡した松岡洋右(ようすけ)、永野修身(おさみ)、および精神障害のため起訴を取り消された大川周明(しゅうめい)を除き、被告人全員が有罪とされ、7名が絞首刑、16名が終身禁錮刑、2名が有期禁錮刑に処せられた。
条例によると裁判所は、平和に対する罪(宣戦を布告した、もしくは布告しない侵略戦争、または国際法、条約、協定もしくは保証に違反した戦争の計画、準備、開始もしくは実行、またはこれらの行為のいずれかを達成するための共通の計画もしくは共同謀議への参加)、通例の戦争犯罪(戦争法規または戦争慣例の違反)、および人道に対する罪(戦前または戦時中になされた殺人、殲滅(せんめつ)、奴隷的虐使、追放その他の非人道的行為、または人種的理由に基づく迫害行為)について管轄権を有するものとされたが、これと対応して起訴状は55の訴因をあげ、被告人それぞれに該当する訴因について罪状を述べた。419人の証人が証言台に立ち、779通の宣誓口供(こうきょう)書を含む4336通の書証が証拠として受理され、事実関係について審理が行われた。とくに法律的な争点としては、(1)連合国は、平和に対する罪について裁判に付しうると指定する権能をもつか。戦勝国だけがこのような裁判を行うのは平等原理に反しないか。(2)侵略戦争は不戦条約によっても刑事犯罪とはされていないのではないか。(3)戦争は国家の行為であり、個人に責任が帰属するとは考えられないのではないか。(4)裁判所条例の規定は事後法であり、事後法による処罰は許されないのではないか。(5)ポツダム宣言にいう戦争犯罪人とは、従来の通常の戦争犯罪を前提とした概念ではないか。(6)戦争遂行過程での殺害行為は違法といえないのではないか。(7)部下の行為について上官に刑事責任が帰属するとはいえないのではないか、などがあった。
しかし裁判所の判決は、これらの点について検察官の主張を支持し、裁判所の管轄権を肯定し、起訴事実の認定を詳しく行い、侵略戦争は遂行され、遂行のための共同謀議が存在し、捕虜の福祉は完全に無視されたと結論した。判決文は英文にして1212ページに及んだ。インドのパル裁判官は、これを上回る長文の反対意見を述べ、全被告人を無罪とすべきことを主張した。そのほかにウェッブ裁判長は、ニュルンベルク裁判との均衡上、日本人被告人は死刑に相当するとはいえないという趣旨、フランスのベルナール裁判官は、法廷が全容疑者を裁けず、天皇が裁かれなかったのは遺憾であるという趣旨、オランダのレーリング裁判官は、畑俊六(はたしゅんろく)、広田弘毅(こうき)、木戸幸一、重光葵(しげみつまもる)、東郷茂徳(とうごうしげのり)の被告人については無罪という趣旨、フィリピンのジャラニーラ裁判官は、若干の被告人について量刑が寛大すぎるという趣旨の個別意見または反対意見をそれぞれ提出した。
東京裁判はニュルンベルク裁判と並んで、侵略戦争の遂行に関与した戦争指導者が個人的に訴追され処罰された初めての例として国際法史上重要な意味を有する。
[石本泰雄]
『児島襄著『東京裁判』上下(1971・中央公論社)』▽『朝日新聞法廷記者団編『東京裁判』全3巻(1962・同書刊行会)』▽『R・H・マイニア著、安藤仁介訳『勝者の裁き』(1972・福村出版)』▽『大沼保昭著『東京裁判から戦後責任の思想へ』(1985・有信堂)』
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1946~48年,太平洋戦争における日本のA級戦犯28名に対し,アメリカ,イギリス,中国,ソ連をはじめとする連合11カ国が行った国際裁判。別名東京裁判といい,45年にニュルンベルクで開かれたナチスに対する軍事裁判と対をなす。裁判では46年1月の極東国際軍事裁判所条例にもとづいて始められ,満洲事変以来の日本の戦争責任が追求された。被告のうち病気もしくは死亡の3名を除いて全員有罪とされ,東条英機(ひでき),広田弘毅(こうき),板垣征四郎(せいしろう),土肥原(どひはら)賢二,木村平太郎,武藤章,松井石根(いわね)の7名は絞首刑となった。大規模な公開裁判として多くの証拠が提出されたが,天皇の戦争責任の棚上げ,アメリカ側の原爆投下に対する不問,A級戦犯認定の不公平さなど,「勝者の裁き」的色彩の強い裁判とされている。
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東京裁判とも。1946年(昭和21)5月3日から48年11月12日まで,極東軍事裁判所憲章にもとづいて東京で開かれた日本の戦争指導者に対する裁判。A級戦犯容疑者28人を平和に対する罪,人道に対する罪などで起訴。極東委員会11カ国は裁判官・検事を派遣,首席検察官はアメリカのJ.キーナン,裁判長はオーストラリアのW.ウェッブが務めた。判決は文官1人(広田弘毅)を含む東条英機・土肥原賢二・板垣征四郎ら7人が絞首刑,荒木貞夫・平沼騏一郎ら16人が終身禁錮,東郷茂徳が20年,重光葵が7年の禁錮となり,48年12月23日に7人の絞首刑が執行された。ニュルンベルク裁判と並んで,戦争犯罪に関し「平和に対する罪」で指導者個人が裁かれた点を特徴とする。
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…日比谷焼打事件(1905)の弁護人となり注目を浴び,その後,日糖事件,大逆事件,シーメンス事件,森戸事件,浜口首相狙撃事件,血盟団事件,帝人事件をはじめ数多くの大事件の弁護人として活躍し,花井卓蔵と並び称される名声を博した。第2次大戦後も極東国際軍事裁判の弁護団長として東洋思想に立脚する最終弁論を行うなど活躍した。また,1908年から政友会系の衆議院議員,続いて貴族院議員として活動したが,相沢事件の弁護を担当したことから軍部の圧迫をうけ,36年貴族院議員を辞職した。…
…ところが敗戦後の日本人は,みずからの手で戦争責任を厳しく追及することなく,今日に及んでいる。 連合国によって開廷された東京裁判(極東国際軍事裁判)(1946年5月3日~48年11月12日)は,(1)国際連盟,不戦条約,国際連合,日本国憲法第9条などに体現されてきた戦争を違法とする世界史の流れのなかで,〈共同謀議の罪〉という犯罪類型を導入し,初めて国家指導者の個人的な刑事責任を追及したこと,(2)〈平和に対する罪〉という新しい構成要件をつくりあげ,それを構成要件の筆頭にすえたこと,(3)〈文明の裁き〉というたてまえのもとに,〈殺人〉と〈通例の戦争犯罪および人道に対する罪〉を第2,第3の構成要件とし,十五年戦争の侵略的性格と日本軍の野蛮な残虐行為を具体的な証拠に基づいて白日のもとに暴露したこと,の3点において画期的な意義を有していた。しかし同時にこの軍事裁判は,(1)戦争の当事者である戦勝国が戦敗国を一方的に裁くという〈勝者の裁き〉であったばかりでなく,裁く側に過去4世紀に及ぶ過酷な植民地支配,アメリカによる原爆投下と都市無差別爆撃の戦時国際法違反,ソ連による日ソ中立条約侵犯と日本人捕虜のシベリア抑留問題などの汚点と弱点があったこと,(2)〈平和に対する罪〉は戦争違法観と指導者責任観とが結合されて第2次世界大戦末期に成立したが,これによって個人を重罰に処したことは法理上問題があり,また〈共同謀議〉という英米法でも問題の多い法概念で1928‐45年の事実を裁くことには無理があったこと,(3)裁判が事実上アメリカの日本占領政策の一環として行われたため,天皇の不起訴,真珠湾攻撃の観点が優越した被告人の選定,A級戦犯の責任追及の途中打切りなどの不十分な結果をもたらしたこと(戦犯),(4)日本の民衆の侵略戦争への荷担の責任がまったく問題にされなかったこと,などの弱さを有していた。…
…正式の名称は極東国際軍事裁判International Military Tribunal for the Far East。日本の戦前・戦中の指導者28名の被告を〈主要戦争犯罪人〉(A級戦犯)として,彼らの戦争犯罪を審理した国際軍事裁判。…
※「極東国際軍事裁判」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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