参謀本部(読み)さんぼうほんぶ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「参謀本部」の意味・わかりやすい解説

参謀本部
さんぼうほんぶ

軍の統帥における最高補佐機関。作戦、用兵などの企画に加わり指揮官を補佐する参謀制度はプロイセンに起源をもつ。プロイセンでは、1809年に陸軍省が創設され、参謀本部が置かれた。1883年には、陸軍参謀総長に国王に対する直接上奏権が与えられた。西欧諸国もしだいにこの参謀制度を採用し始め、現在では多くの国々で陸海空三軍に参謀本部が置かれ、三軍の統合運用のために統合参謀機関が設けられている。たとえばアメリカ統合参謀本部、イギリス国防参謀本部など。

 日本では1871年(明治4)に兵部省内別局として参謀局が置かれたのが最初である。73年に陸軍省が設置され、参謀局は省内第六局となった。同局は74年に廃止され、陸軍省外局として参謀局が置かれた。78年、参謀局廃止、新たに陸軍省から独立し天皇に直隷して陸軍軍令をつかさどる参謀本部が設けられ、86年には参謀本部の下に陸軍部と海軍部が所属する両軍統一の軍令統轄機関となった。

 参謀本部は陸海軍軍計画を行うものとされ、参謀本部長には皇族が任命された。1888年に陸・海軍部がそれぞれ陸軍参謀本部、海軍参謀本部となり、参謀本部長は参軍となった。さらに89年に海軍大臣の下に海軍参謀本部が独立設置され、陸軍参謀本部は参謀本部と改称され陸軍軍令の専掌機関となった。海軍参謀本部は、のちに海軍軍令部から軍令部に改組された。93年の参謀総長の職掌改定により、戦時の軍令は大本営の所掌となった。大本営は日清(にっしん)・日露戦争および支那(しな)事変から太平洋戦争にかけて設けられた。参謀総長の任務は「天皇ニ直隷シ帷幄(いあく)ノ軍務ニ参画シ国防及用兵ニ関スル計画ヲ掌(つかさど)リ参謀本部ヲ統轄ス」るものとされた(明治41年、参謀本部条例)。参謀本部は、1945年に廃止。

[亀野邁夫]

『大江志乃夫著『日本の参謀本部』(岩波新書)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「参謀本部」の意味・わかりやすい解説

参謀本部
さんぼうほんぶ
general staff

近代において陸軍の軍令を司る機関。ナポレオン戦争以来,戦争の規模が大きくなるとともに,用兵が複雑化したのに伴って,戦争をより周到に計画する必要が生じ,19世紀に作戦計画,指導機関である参謀本部が次第に形成されるようになった。初めは,戦場が拡大したところから,地図を作成する機関として出発し,やがて敵情などの分析や,作戦の立案,指導にあたるようになった。世界最初の参謀本部はプロシアに生れたが,1801年以後,C.マッセンバハのもとに,単なる地図作成から作戦研究を行うようになり,さらに 06年には G.シャルンホルストが,単に学術的な作戦研究を行なっていた中央の参謀部と,実戦部隊を結びつけた。 15年にベルリンに参謀本部が設けられ,部隊付きの参謀と区別された。 21年に両者は統合され,軍令の最高責任者となった参謀総長の指揮下におかれ,近代的な参謀本部が完成した。日本では,78年,軍令専掌機関としての参謀本部が設置された。 86年には海軍部が新設され,88年には参軍官制がしかれ,天皇に直隷する皇族の参軍 (参謀長) のもとに陸軍参謀本部と海軍参謀本部が併置された。このとき陸海軍軍令機関は一体であったが,その後実際上の不便から分離され,共通の参謀総長をいただいてはいたが,陸軍は参謀本部,海軍は海軍参謀部となった。 93年海軍軍令部の設置とともに両者は完全に分離された。第2次世界大戦後は,シビリアン・コントロールの原則に基づいて,自衛隊の陸・海・空幕僚長がそれぞれ長官の専門的助言者の立場にあり,運用,訓練,補充などに関する面を統轄する。統合幕僚会議議長は,統合に関する事項で長官の最高助言者となっており,戦前のような軍令,軍政2本立ての一つとしての参謀本部的組織はない。

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百科事典マイペディア 「参謀本部」の意味・わかりやすい解説

参謀本部【さんぼうほんぶ】

日本陸軍の軍令機関。ドイツの軍制にならい1878年創設。1886年海軍軍令部設置とともに参謀本部がこれも合わせて管掌した。1888年本部長を参軍と改称し,その下に陸軍参謀本部と海軍参謀本部を置いた。1889年海軍参謀本部(軍令部)が分離独立,参軍は参謀総長と改称。1908年以後陸軍省とは全く独立した天皇直属の機関となり,1937年大本営の設置でその組織の大半は大本営陸軍部に移された。1945年廃止。→参謀
→関連項目桂太郎軍令児玉源太郎最高戦争指導会議建川美次統帥権メッケル陸軍

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精選版 日本国語大辞典 「参謀本部」の意味・読み・例文・類語

さんぼう‐ほんぶ【参謀本部】

〘名〙 旧日本陸軍の中央統帥機関。天皇に直隷し、国防および用兵を所掌した。当初は陸海統合の軍令機関だったが、明治二六年(一八九三)海軍軍令部(のちの軍令部)が発足し、陸軍のみとなる。
※陸軍省達号外‐明治一一年(1878)一二月五日・一条「参謀本部は東京に於て之を置き各監軍部近衛各鎮台の参謀本部を統轄す」

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旺文社日本史事典 三訂版 「参謀本部」の解説

参謀本部
さんぼうほんぶ

明治〜昭和期の日本陸軍の最高軍令機関
1878年陸軍省参謀局が独立して参謀本部となる。参謀本部長(のち参謀総長)は陸軍大臣(軍政機関)から独立し,天皇に直属して,国防・用兵などを統轄した。統帥権独立の名のもとに軍部独走の拠点となった。1945年廃止。

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デジタル大辞泉 「参謀本部」の意味・読み・例文・類語

さんぼう‐ほんぶ【参謀本部】

国防および用兵事項を担当する、陸・空軍の中央統轄機関。長官は参謀総長。旧日本海軍では軍令部または作戦本部といった。

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世界大百科事典 第2版 「参謀本部」の意味・わかりやすい解説

さんぼうほんぶ【参謀本部】

軍令統轄機関。日本では西南戦争直後の1878年陸軍省の別局であった参謀局が廃止され,陸軍省から独立した参謀本部が設置された。この軍令機関の軍政からの分離の背景としては,(1)明治初年からの事変,戦乱などの経験から参謀機能を専門にする独立機関の必要が痛感されたこと,(2)立憲政体樹立にさいし,議会勢力から軍隊統帥権を政治的に防御しようとしたことなどがあげられる。なお,参謀本部の独立は1873年ドイツから帰国した桂太郎の建議山県有朋が採用したとされ,74年6月制定の陸軍参謀局条例は桂の起草と思われる。

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世界大百科事典内の参謀本部の言及

【幕僚】より

…この影響を受けつつドイツ伝統の幕僚組織を完成させたのはH.モルトケ(1800‐91)であった。彼はG.J.D.vonシャルンホルストの業績を受け継ぎ,鉄道の発展を予見した組織を整備し,有能な幕僚を養成して有名なドイツ参謀本部を創設した。ドイツ参謀本部の特色の一つは,最高指揮官に完全に中央における戦争指導を可能にさせたことである。…

※「参謀本部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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