20世紀日本人名事典 「尾藤操」の解説 尾藤 操ビトウ ミサオ 昭和期の教育者,社会事業家 なずな学園(小規模授産施設)園長。 生年大正1(1912)年9月8日 没年昭和60(1985)年10月16日 出身地岐阜県岐阜市 学歴〔年〕岐阜女子師範学校卒 主な受賞名〔年〕中日社会功労賞〔昭和55年〕 経歴昭和7年から教職活動に入り、岐阜大学教育学部付属小学校の教頭や特殊学級専任教師などを務め、退職後の45年4月、私財を投じて自宅に小規模授産施設・なずな学園を創設。同学園は女子の知的障害者を対象とし、岐阜県内の授産所設置運動の先駆けとなった。知的障害者の技能習得と社会参加に力を尽くし、55年中日社会功労賞受賞。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾藤操」の解説 尾藤操 びとう-みさお 1912-1985 昭和時代の教育者,社会事業家。大正元年9月8日生まれ。昭和7年から教職につき,岐阜大付属小学校教頭などをつとめる。退職後,45年知的障害をもつ女子を対象にした授産施設のなずな学園を開設した。昭和60年10月16日死去。73歳。岐阜県出身。岐阜女子師範卒。著作に「花咲けなずな」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by