山ヶ谷戸村(読み)やまがやとむら

日本歴史地名大系 「山ヶ谷戸村」の解説

山ヶ谷戸村
やまがやとむら

[現在地名]川島町山ヶ谷戸

「やまがいと」ともよぶ。うし谷戸やと村の東、三保谷みほのや宿の南にある。東方は荒川を挟み、足立郡川田谷かわたや(現桶川市)近世、三保谷郷九ヵ村の一。田園簿では田高九五石余・畑高三六石余・野高一一石余、川越藩領。秋元家時代郷帳では高二五六石余、ほかに野高並前々検地出高として高六四石余がある。反別は田方二四町一反余・畑方二七町九反余・野五町五反余。明和四年(一七六七)藩主秋元氏の移封に伴い出羽山形藩領となったが(寛政一〇年「済口証文」鈴木家文書など)、のち再び川越藩領となった(弘化二年「大囲堤御普請願」同文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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