新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「山口天来」の解説
山口 天来
ヤマグチ テンライ
- 肩書
- 元・衆院議員,元・博多電灯会社社長
- 本名
- 山口 恒太郎
- 生年月日
- 明治6年2月
- 出生地
- 和歌山県
- 学歴
- 英吉利法律学校(現・中央大学)卒
- 経歴
- 徳富蘇峰の国民新聞に入るが、明治32年、福岡日日新聞(西日本新聞の前身)に移る。初めは巻きたばこをふかすばかりのずぼら記者であったが、月給が50円から70円に上ったので発奮。33年の北京・義和団の乱の際大活躍して主筆に昇進。38年の日露戦争終結時には、国力の疲弊を説く勇気ある自重論「講和と国民」を執筆。39年、実業界に転じ博多電灯会社社長、博多商業会議所会頭など務めた。上京して雑誌「新公論」や中央新聞を主宰のあと、大正6年から衆議員議員3期、立憲政友会総務を務めた。
- 没年月日
- 昭和16年4月
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報