1899年(光緒25)から1900年,華北一帯に爆発的にひろがった中国人民の反帝国主義運動の主体。この運動を義和団運動という。19世紀末,日清戦争の結果としての下関条約を起点として,帝国主義の対中国資本輸出がいっせいに開始され,世界分割競争が中国に向かって集中し,中国がかつてない民族的危機に直面したことを背景として,義和団運動は起こった。運動が最初に起こった山東省では,日清戦争の際,日本軍の侵入・占領をこうむり,その後膠州湾と威海衛をそれぞれドイツとイギリスに占領,〈租借〉され,結局ドイツが全山東をみずからの勢力範囲として収奪と人民弾圧をほしいままにした。農村経済の破壊と農民の無産化,手工業者・小商人・運送労働者などの破産・失業が急速に進み,人民は重税雑税,労働徴発,災害に苦しんだ。
こうした背景の中で,山東では仇教(反キリスト教)運動が急激にひろがった。列強の勢力を背景に清朝の保護を受けつつ農村内部に入り込んだ教会が,中国人の土地を収奪し,帝国主義勢力の農村での経済活動の拠点となり,教民と一般農民の間に分裂をつくり,伝統的な農村の共同生活における人々の信仰や生活習慣の切り崩しにかかったためである。1896年,民間秘密結社の大刀会が大規模な仇教運動をおこしたが,大刀会の仇教運動がつぎつぎと展開される一方で,農村の下層農民大衆が教会・教民に対抗して郷土を防衛するため,村々に拳厰を設けて拳術を身につけ,〈会〉〈団〉をつくり,さらに村を連ねて仇教のための組織を形成していった。義和拳,梅花拳などと呼ばれるこの農民主体の武術集団は,大刀会と連動しながら仇教運動を拡大・高揚させていった。こうした仇教運動の主体全体を指す〈義和団〉という呼称は,99年ごろ生まれ,そのころから活動が公然化していった。義和団と白蓮教との系譜的関係の有無については,今日なお多くの議論があるが,拳術を身につけ,呪文を唱えれば,玉皇大帝をはじめとする民間信仰の神々や農民になじみの深い歴史上・伝説上の英雄・半神が体に乗りうつり,〈刀槍不入〉の超能力を得ると信じられ,その自力によって教会勢力,侵略勢力に〈滅洋〉をかかげて立ち向かった。義和団は太平天国のような統一的指導機関を持たない各義和団の集合体であった。
99年秋,山東省の平原で義和団は弾圧にきた清軍を破り,以後勢力は急激に増大するが,99年末山東巡撫となった袁世凱の徹底した弾圧を受け,1900年春には河北省の義和団の立ちあがりと山東義和団の移動で運動の中心は河北に移った。6月,義和団は北京に入城して全北京を掌握,公使館区域を包囲,また租界を抱える天津をも占領した。これと同時に帝国主義列強は軍隊の移動を開始,軍隊を輸送する鉄道の沿線で,列強の連合軍と義和団の戦闘が始まった。この間,日本外務省書記生とドイツ公使の義和団による殺害事件が起こった。北京に進撃してくる連合軍に対し,清朝は宣戦を布告,義和団は死力を尽くして戦ったが,7月中旬に天津,8月中旬に北京を8ヵ国(イギリス,アメリカ,ドイツ,フランス,ロシア,日本,イタリア,オーストリア)連合軍に占領され,義和団は弾圧を受けて敗北した。義和団の京・津占領から連合軍の北京占領にいたる戦争を,日本では〈北清事変〉と呼んだ。1901年9月,清朝と11ヵ国(8ヵ国とスペイン,オランダ,ベルギー)との間に最終議定書〈辛丑条約〉が調印された。多額の賠償金のほか,北京・山海関沿線の外国の駐兵権を認め,人民の反帝運動の鎮圧を清朝が義務づけられるなど,中国の半植民地化をいっそう深めるものであった。
1899年から1900年にかけ,義和団が〈扶清滅洋〉の旗をかかげたことから,清朝と義和団の関係については異なる評価があるが,清朝は基本的に反人民的立場をとりつつも,宮廷内抗争もからんで懐柔・利用と弾圧の両面の対応の間を揺れ動き,対外的には排外主義と投降主義の間を揺れ動いた。結局,義和団と帝国主義列強の両者から追いつめられ,帝国主義の側に投降したのである。義和団には滅洋を共通項としてさまざまのグループがあったが,その主流において扶(たす)けるべき清とは自分たちの郷土・国土であり,必ずしも大清帝国を意味しなかった。山東,江蘇,河南,河北,山西,陝西,甘粛,東北等の地で闘われた義和団運動は,帝国主義の中国分割の野望をくじき,中国民族人民の気概を示した反帝人民闘争であり,民族の覚醒をうながして辛亥革命への道を切りひらいた。
執筆者:石田 米子
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…1860年前後から義和団運動の前夜にかけて中国各地で発生したキリスト教排撃の運動=反洋教運動をいう。北京条約でキリスト教伝道が全面的に解禁されたあと,中国内地に進出したカトリック(天主教),プロテスタント諸派(基督教)は,いたるところで中国官民の敵意に遭遇し,宣教師殺傷,教会破壊,信者迫害などの教案(宗教関係の刑事事件のこと,清朝末期ではほとんどが仇教事件であった)が続発した。…
…農業,教育,医学,工業の諸大学がある。【山本 敏】 1900年の中国の義和団運動に際し,ロシア軍がここで行った中国人大量虐殺事件で,日本にはよく知られた。中国東北地方における義和団の蜂起に対し,ロシア軍は同年7月15日午後2時黒竜江の渡河を禁止し,ロシア領内に在留した多数の中国人を捕らえ翌朝これを虐殺した。…
※「義和団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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