山崎喜作(読み)ヤマザキ キサク

20世紀日本人名事典 「山崎喜作」の解説

山崎 喜作
ヤマザキ キサク

昭和期の政治家 ポプラテニスクラブ会長;東京庭球協会名誉会長。



生年
明治23(1890)年4月15日

没年
昭和60(1985)年2月12日

出身地
東京

学歴〔年〕
早稲田大学商科〔大正2年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲五等双光旭日章〔昭和43年〕,東京都名誉都民〔昭和55年〕

経歴
早大、満鉄時代、硬式テニス選手として大活躍。昭和15年中野区議に当選。26年まで在任し、22年には区議会議長を務めた。区議会議長時代の22年、中野区軟式庭球連盟を結成、テニスの普及、発展に努めるとともに、27年には中野区バドミントン協会、35年には中野区ソフトボール連盟を結成し、スポーツを通じて青少年の健全育成、区民の健康づくりに貢献した。55年には長年、スポーツ振興に尽くした功績で、名誉都民表彰を受けた。60年1月、中野区に時価12億円以上の家屋敷を「公園や郷土資料館用地に使って下さい」と寄贈した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山崎喜作」の解説

山崎喜作 やまざき-きさく

1890-1985 昭和時代の政治家。
明治23年4月15日生まれ。早大在学中硬式テニスで活躍。昭和22年東京都中野区議会議長となり,同区に軟式庭球連盟,バドミントン協会,ソフトボール連盟を結成した。55年名誉都民。昭和60年2月12日死去。94歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android