山崎秀子(読み)ヤマサキ ヒデコ

20世紀日本人名事典 「山崎秀子」の解説

山崎 秀子
ヤマサキ ヒデコ

大正・昭和期の看護婦



生年
明治36(1903)年6月1日

没年
昭和37(1962)年6月6日

出生地
鳥取県岩美郡宇倍野村(現・国府町)

学歴〔年〕
宇倍野農学校卒,日赤看護婦養成所〔大正12年〕卒,日赤看護婦長養成所〔大正15年〕卒

主な受賞名〔年〕
黄綬褒章,ナイチンゲール記章〔昭和36年〕

経歴
山崎鹿蔵の四女に生まれる。宇倍野農学校を卒業後、看護婦見習いなどを経て、大正12年東京の日赤看護婦養成所を卒業、日赤病院配属となる。看護婦長養成所に入り、15年卒業。終生独身で看護業務に従事した。12年関東大震災では負傷者の救護活動に当たった。昭和3年山東出兵以来4回の召集を受け、陸軍患者輸送船、現地陸軍病院などで戦傷病者の救護に当たる。19年鳥取日赤病院看護婦監督に就任戦後は日本看護婦協会鳥取県支部長、保健婦助産婦看護婦国家試験委員などを務めた。この間、数々の表彰を受けたほか、36年ナイチンゲール記章を受章した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山崎秀子」の解説

山崎秀子 やまさき-ひでこ

1903-1962 大正-昭和時代の看護婦。
明治36年6月1日生まれ。昭和3年以来4回召集をうけ,現地陸軍病院などで戦傷病者の救護にあたる。19年鳥取日赤病院看護婦監督。戦後は日本看護婦協会鳥取県支部長などをつとめた。36年ナイチンゲール記章。昭和37年6月6日死去。59歳。鳥取県出身。日赤看護婦長養成所卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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