朝日日本歴史人物事典 「山本飛騨掾」の解説
山本飛騨掾
江戸前・中期に人形浄瑠璃の大坂出羽座を中心に活躍した人形遣い,浄瑠璃作者。名人形遣いおやま五郎兵衛の子で,初名を山本弥三五郎という。水大からくりなどの各種からくり細工と手妻人形で知られ,後代の三人遣いへの道をひらいたといわれる。元禄13(1700)年に飛騨掾を受領,さらに翌年河内掾を重任し,翌々年には京都の浄瑠璃名代(興行権)河内掾をも継承した。一時江戸に下るが,正徳半ばごろから出羽座の座本を勤め,享保初年には再び江戸堺町に出て,山本出羽芝居をたてたともいう。執筆作品に「かりかね文七一周忌」「国仙野手柄日記」などが知られるが,からくりを多用した見せ場本位のものが多い。<参考文献>若月保治『人形浄瑠璃三百年史』
(阪口弘之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報