朝日日本歴史人物事典 「山田御方」の解説
山田御方
7世紀末から8世紀前半の官人,文人。名は三方とも書く。はじめ僧籍にあり,新羅に留学した経験もあるが,持統6(692)年に還俗。官人としてその学才を用いるための措置であろう。慶雲4(707)年には学士として優秀なため賞され,養老5(721)年にも文章,学業の師範とすべき者として褒賞を受けている。同年には東宮(のちの聖武天皇)の相手として,公務終了後,仕えることを命じられた。同6年,官物を盗んだ罪が発覚しながら,赦されたことは,その才学をしのばせる。晩年,大学頭,従五位下。『懐風藻』に詩文が残る。
(東野治之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報