20世紀日本人名事典 「山田忠三郎」の解説 山田 忠三郎ヤマダ チュウザブロウ 明治・大正期の陸軍中将 生年安政6年(1859年) 没年大正5(1916)年8月3日 出生地京都府 学歴〔年〕陸士〔明治12年〕卒 経歴明治12年陸軍少尉となる。近衛歩兵第1連隊長として日露戦争に出征、のち第3師団参謀長を務める。38年歩兵第10旅団長、のち陸軍戸山学校長、陸軍省人事局長、第14師団長などを歴任。45年中将。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田忠三郎」の解説 山田忠三郎 やまだ-ちゅうざぶろう 1859-1916 明治-大正時代の軍人。安政6年生まれ。近衛歩兵第一連隊長,陸軍戸山学校長,陸軍省人事局長,第十四師団長などを歴任。明治45年中将。大正5年8月3日死去。58歳。京都出身。陸軍士官学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例