山登 万和(読み)ヤマト マンワ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山登 万和」の解説

山登 万和
ヤマト マンワ


職業
箏曲家(山田流)

本名
大須賀

別名
都名=万和一

生年月日
嘉永6年 11月14日

出生地
江戸(東京都)

経歴
3歳で失明。2代目山勢検校慶風一に入門、次いで初代山登松和一に箏曲を学んだ。明治2年17歳で検校に進み、山登万和と称した。若手ゆえ、さらに励み、美声で世に出た。皇后陛下に召されて秘曲を演奏、賞をもらった。山田流の山登家の3代目家元とは数えず、本郷天神町に住んでいたので“天神町の山登”といわれた。また、琴曲歌調の改善に努め、「近江八景」「須磨の嵐」「菊水」など多くの新曲を作った。

没年月日
明治36年 5月23日 (1903年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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