近江八景(読み)おうみはっけい

精選版 日本国語大辞典 「近江八景」の意味・読み・例文・類語

おうみ‐はっけい あふみ‥【近江八景】

[一] 近江国(滋賀県)、琵琶湖南部の景勝として中国の「瀟湘(しょうしょう)八景」に擬して選ばれた八つの景色。明応九年(一五〇〇)、近衛政家の選定と伝えられる。三井(みい)晩鐘唐崎の夜雨、堅田(かただ)の落雁、粟津の晴嵐、矢橋(やばせ)の帰帆、比良の暮雪、石山秋月、瀬田の夕照をいう。
※浮世草子・日本永代蔵(1688)二「高観音の舞台に行て近江八景(アフミはっケイ)も、あさゆふ見てはおもしろからず」
[二] 箏曲。山田流奥許(おくゆるし)物。明治二〇年(一八八七)前後に山登万和作曲。福城可童作詞。八景物の一つで、琵琶湖畔をうたったもの。

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デジタル大辞泉 「近江八景」の意味・読み・例文・類語

おうみ‐はっけい〔あふみ‐〕【近江八景】

琵琶湖南西部の八つの景勝。石山の秋月、比良ひらの暮雪、瀬田の夕照、矢橋やばせの帰帆、三井みいの晩鐘、唐崎の夜雨、堅田かたたの落雁、粟津あわづの晴嵐。安藤広重浮世絵で知られる。中国の洞庭湖瀟湘しょうしょう八景にならって選んだという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「近江八景」の意味・わかりやすい解説

近江八景
おうみはっけい

滋賀県の琵琶湖(びわこ)沿岸の景勝地を示すもの。戦国時代に公家(くげ)や五山の詩僧によって選定されたとも、また1500年(明応9)前関白近衛(このえ)政家と尚通(ひさみち)の父子が選定したともいう。いずれにしても中国の洞庭湖の「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」を模して選んだといわれる。一般的に知られている近江八景は、比良(ひら)の暮雪(ぼせつ)、堅田(かたた)の落雁(らくがん)、唐崎(からさき)の夜雨(やう)、三井(みい)の晩鐘(ばんしょう)、矢橋(やばせ)の帰帆(きはん)、粟津(あわづ)の晴嵐(せいらん)、石山(いしやま)の秋月、瀬田の夕照(せきしょう)で、これは江戸時代初期に選定されたものらしい。歌川広重(ひろしげ)の浮世絵や山登万和(やまとまんわ)の箏曲(そうきょく)によって広く世間に喧伝(けんでん)された。

 しかしこの八景は湖南に限られていること、激しい景観の変容でかつてのおもかげがほとんど失われたことなどから、1949年(昭和24)に「琵琶湖八景」が新たに制定された。夕陽(瀬田石山の清流)、煙雨(えんう)(比叡(ひえい)の樹林)、涼風雄松崎(おまつざき)の白汀(はくてい))、暁霧(ぎょうむ)(海津大崎の岩礁)、新雪(賤ヶ岳(しずがたけ)の大観)、月明(彦根(ひこね)の古城)、春色(安土八幡(あづちはちまん)の水郷)、深緑(竹生島(ちくぶしま)の沈影)である。

[高橋誠一]


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改訂新版 世界大百科事典 「近江八景」の意味・わかりやすい解説

近江八景 (おうみはっけい)

琵琶湖の湖南地方を中心とした名勝。1500年(明応9),近衛関白政家が近江に乱を避けていた際,中国の瀟湘(しようしよう)八景になぞらえて詠んだのに始まるという。堅田落雁,矢橋帰帆,勢田夕照,石山秋月,粟津晴嵐,唐崎夜雨,比良暮雪,三井晩鐘の8景がそれである。絵画作品としては江戸時代に狩野探幽,鳥居澄久,葛飾北斎などが描いているが,とくに安藤広重の名所絵図《近江八景》によって広く世に知られた。近代に至っては,今村紫紅の《近江八景》がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近江八景」の意味・わかりやすい解説

近江八景
おうみはっけい

滋賀県,琵琶湖岸の美しさを代表する8つの景勝地。中国の洞庭湖における瀟湘 (しょうしょう) 八景 (→瀟湘八景図 ) にちなんで明応9 (1500) 年,関白近衛政家・尚通父子が選定したといわれる。三井晩鐘,粟津晴嵐,瀬 (勢) 田夕照,石山秋月,唐崎夜雨,堅田落雁,比良暮雪,矢橋帰帆の八景をさす。それらは京に近い湖南から選定されており,今日では昔の面影を失っているものが多いことから,新しく琵琶湖八景が選定されている。

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デジタル大辞泉プラス 「近江八景」の解説

近江八景〔景勝地〕

琵琶湖沿岸の8つの景勝地。中国湖南省の洞庭湖付近の景勝地を選定した「瀟湘(しょうしょう)八景」を模して選定されたものとされる。選定者は室町時代の関白近衛政家(まさいえ)、戦国時代の公家や五山の詩僧などの説があるが定かではない。比良の暮雪、堅田の落雁、唐崎の夜雨、三井の晩鐘、粟津の晴嵐、矢橋の帰帆、瀬田の夕照、石山の秋月の8か所で、広重の浮世絵などによって広く知られるようになった。1949年には現代に相応しい八景として、新たに「琵琶湖八景」が選定されている。

近江八景〔落語〕

古典落語の演目のひとつ。上方種。

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百科事典マイペディア 「近江八景」の意味・わかりやすい解説

近江八景【おうみはっけい】

山田流箏(そう)曲の曲名。山登万和作曲。1893年ころの作。近江八景の名所を歌った曲。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「近江八景」の解説

近江八景
〔宮薗〕
おうみはっけい

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明和8.9(大坂・小川吉太郎座)

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世界大百科事典(旧版)内の近江八景の言及

【八景】より

…本居宣長《玉勝間》巻十二にも,〈もともろこしの国の,なにがしの八景といふをならひてさだめたる〉と記されており,日本では慶長・元和(1596‐1624)のころからしだいに人口に膾炙(かいしや)しはじめた。最初にいいだされた八景は近江八景といわれ,京都円光寺の長老が近江に蟄居しているとき,中国の瀟湘(しようしよう)八景になぞらえたものという。すなわち,比良の暮雪,矢橋(やばせ)の帰帆,石山の秋月,勢田の夕照,三井の晩鐘,堅田の落雁,粟津の晴嵐,唐崎の夜雨の八景である。…

【琵琶湖】より

… 琵琶湖の南湖の風景は,近世の東海道の旅人たちに強い印象を与えた。石山の秋月,瀬田の夕照,矢橋(やばせ)の帰帆(きはん),堅田の落雁(らくがん),粟津の晴嵐(せいらん),三井(みい)の晩鐘,唐崎(からさき)の夜雨,比良(ひら)の暮雪という〈近江八景〉が安藤広重の絵にも描かれ,広く世に喧伝された。しかし第2次大戦後,南湖周辺の急速な都市化によって,比良の暮雪を除いた残りの七景は昔日の面影を失い,観光資源としての価値を減じた。…

※「近江八景」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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