滋賀県の琵琶湖(びわこ)沿岸の景勝地を示すもの。戦国時代に公家(くげ)や五山の詩僧によって選定されたとも、また1500年(明応9)前関白近衛(このえ)政家と尚通(ひさみち)の父子が選定したともいう。いずれにしても中国の洞庭湖の「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」を模して選んだといわれる。一般的に知られている近江八景は、比良(ひら)の暮雪(ぼせつ)、堅田(かたた)の落雁(らくがん)、唐崎(からさき)の夜雨(やう)、三井(みい)の晩鐘(ばんしょう)、矢橋(やばせ)の帰帆(きはん)、粟津(あわづ)の晴嵐(せいらん)、石山(いしやま)の秋月、瀬田の夕照(せきしょう)で、これは江戸時代初期に選定されたものらしい。歌川広重(ひろしげ)の浮世絵や山登万和(やまとまんわ)の箏曲(そうきょく)によって広く世間に喧伝(けんでん)された。
しかしこの八景は湖南に限られていること、激しい景観の変容でかつてのおもかげがほとんど失われたことなどから、1949年(昭和24)に「琵琶湖八景」が新たに制定された。夕陽(瀬田石山の清流)、煙雨(えんう)(比叡(ひえい)の樹林)、涼風(雄松崎(おまつざき)の白汀(はくてい))、暁霧(ぎょうむ)(海津大崎の岩礁)、新雪(賤ヶ岳(しずがたけ)の大観)、月明(彦根(ひこね)の古城)、春色(安土八幡(あづちはちまん)の水郷)、深緑(竹生島(ちくぶしま)の沈影)である。
[高橋誠一]
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琵琶湖の湖南地方を中心とした名勝。1500年(明応9),近衛関白政家が近江に乱を避けていた際,中国の瀟湘(しようしよう)八景になぞらえて詠んだのに始まるという。堅田落雁,矢橋帰帆,勢田夕照,石山秋月,粟津晴嵐,唐崎夜雨,比良暮雪,三井晩鐘の8景がそれである。絵画作品としては江戸時代に狩野探幽,鳥居澄久,葛飾北斎などが描いているが,とくに安藤広重の名所絵図《近江八景》によって広く世に知られた。近代に至っては,今村紫紅の《近江八景》がある。
執筆者:松木 寛
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…本居宣長《玉勝間》巻十二にも,〈もともろこしの国の,なにがしの八景といふをならひてさだめたる〉と記されており,日本では慶長・元和(1596‐1624)のころからしだいに人口に膾炙(かいしや)しはじめた。最初にいいだされた八景は近江八景といわれ,京都円光寺の長老が近江に蟄居しているとき,中国の瀟湘(しようしよう)八景になぞらえたものという。すなわち,比良の暮雪,矢橋(やばせ)の帰帆,石山の秋月,勢田の夕照,三井の晩鐘,堅田の落雁,粟津の晴嵐,唐崎の夜雨の八景である。…
… 琵琶湖の南湖の風景は,近世の東海道の旅人たちに強い印象を与えた。石山の秋月,瀬田の夕照,矢橋(やばせ)の帰帆(きはん),堅田の落雁(らくがん),粟津の晴嵐(せいらん),三井(みい)の晩鐘,唐崎(からさき)の夜雨,比良(ひら)の暮雪という〈近江八景〉が安藤広重の絵にも描かれ,広く世に喧伝された。しかし第2次大戦後,南湖周辺の急速な都市化によって,比良の暮雪を除いた残りの七景は昔日の面影を失い,観光資源としての価値を減じた。…
※「近江八景」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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