山脇洋二(読み)ヤマワキ ヨウジ

20世紀日本人名事典 「山脇洋二」の解説

山脇 洋二
ヤマワキ ヨウジ

昭和期の彫金家 東京芸術大学名誉教授。



生年
明治40(1907)年12月2日

没年
昭和57(1982)年12月11日

出生地
大阪府

学歴〔年〕
東京美術学校(現・東京芸術大学)金工科彫金部〔昭和5年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞(第18回)〔昭和37年〕「金彩游砂額」

経歴
昭和6年第12回帝展に初入選。11年、13年新文展特選、21年第2回日展特選、以来同展に連続出品。これより先に8〜14年帝国博物館研究生、18年東京美術学校助教授、31〜50年東京芸大教授をつとめ、のち名誉教授。この間40年文化財保護審議会専門委員、46年日本創作七宝協会会長、日展参与、50年日本新工芸家連盟代表委員、56年山梨県立宝石美術専門学校初代校長を歴任。また24年文部省の依頼で法隆寺五重塔の秘宝調査・複製品製作に従事、25年正倉院宝物金土品調査に参加した。代表作に「銀野牛」「舞御堂小箱」「蜥蝪文硯箱」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山脇洋二」の解説

山脇洋二 やまわき-ようじ

1907-1982 昭和時代の彫金家。
明治40年12月2日生まれ。母校東京美術学校(現東京芸大)でおしえ,昭和31年教授。金彩にたくみで,37年「游砂」で芸術院賞。文化財保護審議会専門委員。昭和57年12月11日死去。75歳。大阪出身。作品に「舞御堂小箱」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山脇洋二の言及

【明治・大正時代美術】より

…26年に,鋳金の高村豊周や内藤春治(はるじ)(1895‐1979),彫金の北原千鹿(せんろく)(1887‐1951),漆工の山崎覚太郎(1899‐1984),染色の広川松五郎(1889‐1952)らによって无型(むけい)が結成された。帝展に工芸部が設置された27年ころは彼らの活動も高揚し,この年,北原千鹿を中心にして,信田洋(のぶたひろし)(六平,1902‐90),山脇洋二(1907‐82)らの金工家が集まって工人社が結成された。また,京都でも1920年に楠部弥弌(くすべやいち)らによって,前衛的な作陶家集団赤土が結成されている。…

※「山脇洋二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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