山辺北郡
やまべきたぐん
「和名抄」の山辺郡が平安末に南北二郡に解体されて成立。郡内の郷村から郡域は作田川以南の山武町の一部、真亀川以北の九十九里町の一部、およびほぼ東金市全域と考えてよい。現成田市大竹の時宗寺院円光寺蔵の延慶二年(一三〇九)六月一〇日の阿弥陀三尊蔵刻銘にみえる「上総国北郡堺郷」の北郡を当郡とする説がある。元弘三年(一三三三)一〇月五日の後醍醐天皇綸旨(浄光明寺文書)に山辺北郡内堺郷・鹿見塚(現東金市か)とあり、鎌倉浄光明寺領であった。建武元年(一三三四)北山辺郡の森郷(現山武町)を一色頼行(一色公深の子)が鎌倉の大蔵南小路聖天堂の灯油料として寄進している(八月三日「一色頼行寄進状」法華堂文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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