日本歴史地名大系 「山辺庄」の解説
山辺庄
やまのべのしよう
山形盆地の南半分の西側の出羽丘陵一帯とその裾野の平野部、現在の山辺町・
貞治三年(一三六四)八月一〇日の斯波兼頼預置状(倉持文書)に「出羽国山辺庄」とみえ、庄内の「塔見」三分の一が倉持兵庫助入道に勲功の賞として預けられている。倉持氏は陸奥国
山辺庄
やまべのしよう
現在の山辺付近にあった庄園。山間部に位置し、応徳元年(一〇八四)一二月一九日の摂津国採銅所預等連署解案(壬生家文書)に、頭弁藤原通俊の家領としてみえるのが初見。これによると能勢郡採銅所の預らは、従来、付近の山から松明の木をとって銅の穴掘りをしていたところ、「頭弁殿御領山辺」の山口・
山辺庄
やまべのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報