堺郷(読み)さかいごう

日本歴史地名大系 「堺郷」の解説

堺郷
さかいごう

直方市の南東部、彦山川右岸の現上境かみざかい・下境を遺称地とし、両所および永満寺えいまんじはたなどを含む一帯に比定される中世の郷。粥田かいた庄の内で、堺庄ともいい、また豊前国との境界にあたり、「豊前国田河郡堺郷」などと表記する史料もある(応仁三年六月二〇日「堺郷名田注文」志賀文書/熊本県史料 中世篇二)。建久二年(一一九一)三月一〇日の豊前往生院院主春宗申状案(志賀文書/鎌倉遺文一)によると、先年頓野とんの地頭代兵衛入道と境相論となった際に、論所となった地の四至境は波多(畑)のうちの「内沢一瀬」を限ると裁決された。しかしそののち近江太郎が四至の内を押領するため、「豊前国堺御庄往生院」(永満寺往生院)の院主春宗は同年違乱の停止と寺家への返付を訴え、これを認められている。翌三年には往生院領内の桑公事が免除された(同年正月一九日「一品房昌寛下文案」同文書/鎌倉遺文二)


堺郷
さかいごう

中世の郷で、湯井ゆい郷に近接していたとみられ、丹尾たんのう付近に比定する説がある(大日本地名辞書)。現成田市大竹おおだけの時宗円光えんこう寺蔵の延慶二年(一三〇九)六月一〇日の阿弥陀三尊像刻銘に「上総国北郡堺郷」とみえ、これを当郷とする説と、武射北むしやきた郡堺(現芝山町)とする説がある。元弘三年(一三三三)一〇月五日の後醍醐天皇綸旨(浄光明寺文書)に「当寺領上総国山辺北郡内堺郷并鹿見塚」とあり、鎌倉浄光明じようこうみよう寺如仙(高慧)に安堵されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の堺郷の言及

【粥田荘】より

…荘主は幕府,本家成勝寺,御室門跡に愁訴して支配の回復を図るが,戦国期には,杉氏の領地となり荘園としての実体を失った。荘政所,市場が堺郷(現,直方市)におかれ,雑掌,田所,公文,散仕,名主などの給田や,紺搔,鍛冶,土器,皮染などの手工業者の存在状況,進上品の芦屋釜の流通などについて知られている。在地武士としては鳥羽院の武者所を務めた粥田経遠がおり,保元のころ,宇佐宮末社の椿八幡宮に押妨を行ったとがで下野国に遠流となった。…

※「堺郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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