山辺南郡
やまべみなみぐん
中世にみえる郡。平安末期に「和名抄」の山辺郡が中世的な再編成を受け、北と南に分れたものと考えられる。延元元年(一三三六)三月二二日の後醍醐天皇綸旨(武州文書)に山辺南郡とみえ、当郡などの地頭職を春日部重行に安堵している。のち「山辺南北」などの地頭職は若法師以下に知行させることとしている(八月三〇日「後醍醐天皇綸旨」上杉文書)。応安八年(一三七五)の市原八幡宮(現市原市飯香岡八幡宮)の造営では山辺南郡として山辺北郡などとともに六所宮を担当している(二月一〇日「市原八幡国役庄役注進状」三宝院文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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