改訂新版 世界大百科事典 「山鹿氏」の意味・わかりやすい解説
山鹿氏 (やまがうじ)
古代末から中世にかけて主として九州で活躍した武士。粥田経遠(かいたつねとお)の子山鹿秀遠(やまがひでとお)は大宰府府官の藤原政則を祖としており,菊池氏と同族であった。秀遠は遠賀川流域最大の豪族に成長し,平氏の方人となった。そして平家都落ちに従い,壇ノ浦の戦(1185)では平家方1000余艘中500余艘を率いて先陣をつとめ,〈九国一番の勢兵〉と呼ばれたが,平氏の滅亡とともに没落した。筑前麻生氏の同族山鹿氏は宇都宮氏の末流と称し,山鹿秀遠跡の山鹿荘を知行したと伝えている。南北朝期になると終始北朝方についた麻生氏に対抗して,南朝方として活躍した。戦国期には大内氏の博多下代官を世襲した山鹿氏がおり,大内氏家臣飯田氏の家人として,大内氏の博多支配を現地で担った。山鹿壱岐守,同弾正忠,同秀宗,同治部丞,同秀康の名が史料に見え,博多に下向した連歌師宗祇,宗碩,遣明使節策彦周良らとの交流が知られている。
執筆者:佐伯 弘次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報