デジタル大辞泉 「家人」の意味・読み・例文・類語
か‐じん【家人】
2 家臣。
[類語]家族・一家・家内・
け‐にん【家人】
2 平安時代、貴族や武士の
3 「
4 家来。また、奉公人。〈日葡〉
家人の語には三つの用法がある。第1は家内の人という意味の用法である。唐律令,日本律令ともに家人とあるもので,この場合の家人は一般に良民である。第2は賤民としての家人の用法である。唐律令に部曲とあるのを,日本は部民(べみん)に部曲の語を用いてしまったために日本律令では家人と改めたもの。この家人は,官戸と同様に家族をなし,家業をもち,家族全員が同時に使役されることはなく,また売買されず,私奴婢より上の身分であった。ただし,家人は家人との結婚しか認められず,姓もなかった。口分田は私奴婢と同じく良民の3分の1を給された。賤民としての家人の例は,寺の家人が法隆寺(〈天平19年(747)法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳〉等),観世音寺(《日本三代実録》貞観8年(866)3月4日条等)に見えるだけで,一般の戸籍などには見えない。家族的結合をもつ家人的形態の私有賤民はほとんど私奴婢身分とされ,家人身分の賤民は一般には存在しなかったらしい。第3は,第1の家人の概念から発展したもので,〈大臣家之人〉のごとく,貴族の私的隷従者を示す用法で,9世紀後半以降に多く見られるようになる。これが中世の家人概念の前身である。
執筆者:石上 英一
平安時代以後,主人に仕えた従者の総称。さまざまな職能(芸能)を主人に提供し,主人からは恩給を与えられて,両者の間には双務的な主従関係が形成された。なかでも武芸によって主人に仕えた家人は兵(つわもの)とか侍(さぶらい)とか呼ばれ,主人の武力を構成し,主人とその一族・家の警固等にあたった。その家人は主人との従属関係から二つのタイプに分けられる。一つは代々主従関係を結んでいる譜代の家人を中心とした直属の家人で,主人への服従の度合が強い。もう一つは名簿(みようぶ)といって自分の名前を記した文書を提出するのみで家人となったり,1度だけの対面の儀式(見参の礼)で家人となったもので,〈家礼(けらい)〉と呼ばれて主人の命令に必ずしも従わなくてよい,服従の度合の弱い家人である。このような家人のタイプに応じて,鎌倉幕府は御家人制を整備した。すなわち幕府の首長である鎌倉殿(将軍)を主人と仰ぐ家人を御家人と称し,そのうち早くから源頼朝に従った東国の御家人を直属の御家人として,その所領を安堵するかたわら,西国の御家人については名簿の提出を意味する守護による御家人交名(きようみよう)の注進(御家人名簿の提出)を命じた。後者では身分の保障をするにとどめ,所領の安堵は行わなかったので,御家人から離れる者も多かった。室町幕府の御家人制もこの二重構成を継承し,幕府に直属する奉公衆と守護の指揮下に入る御家人とからなっていた。また室町時代には幕府以外でも,守護や有力国人(こくじん)を中心に主従制が展開し,家人が多く形成されたが,ここでも二重の構成がみられる。その際の直属の家人は内者(ないしや)と呼ばれ,室町中期以後成長してゆく守護大名,戦国大名の家臣団の中枢を構成するようになる。これらは主として武芸をもって奉仕する家人であるが,そのほかに朝廷の蔵人所年預(ねんよ)(預(あずかり))の家人となった灯炉供御人(くごにん)や鎌倉幕府に芸能によって仕えた御家人もいる。
→家来
執筆者:五味 文彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本古代の家人の語には三つの用法がある。第一は家内の人という意味での用法で、良民である。第二の用法は、唐律令(りつれい)に部曲とあるのを、日本では部民(べみん)に部曲(かきべ)の語を使用したために律令(りつりょう)では家人と改めたもので、五色の賤(せん)の一つ。家人は、官戸(かんこ)と同様に家族をなし、家業をもち、家族全員が同時に使役されることはなく、売買されず、私奴婢(しぬひ)より上級の身分であった。ただし、婚姻は家人同士でしか認められず、姓もなかった。口分田(くぶんでん)は私奴婢と同じく良民の3分の1を給された。この家人の例は、寺の家人が法隆寺、筑前(ちくぜん)観世音(かんぜおん)寺にみえる程度で、一般の戸籍などにはみえない。家族的結合をもつ私有賤民(せんみん)はほとんど私奴婢とされ、家人身分の賤民は一般には存在しなかったらしい。第三の用法は、第一の家人の概念から発展したもので、貴族の私的隷従者を示す用法で、9世紀後半以降に多くみられるようになる。これが中世の家人概念の前身である。
[石上英一]
『井上光貞他編『律令』(1976・岩波書店)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1「やけひと・やかひと」とも。律令制下の私賤の一種。中国唐代の私賤の部曲(ぶきょく)や客女に相当する身分とされ,相続の対象とはされたが売買は禁じられ,その使役にも制限があった。家人同士の結婚以外は認められず,良民の3分の1の口分田(くぶんでん)を班給された。
2従者をさす語。平安時代以降,社会的に主従制が発達するにともない,貴族や武士を主人として仕える従者の意として用いられた。従者のなかでも家人は,主人の一族として遇された家子(いえのこ)とは区別され,比較的隷属度のゆるやかな家礼(けらい)(家来)とも異なるとされた。鎌倉幕府の将軍の家人はとくに御家人と称され,幕府の支配基盤となった。
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…《貞丈雑記》に五摂家より分かれた公家衆や軽輩の公家衆で宮廷の儀式作法を習うため摂家に出入りする者を家礼と呼んだとあるが,やはりその家に依頼し,礼をつくしたからであろう。《吾妻鏡》1180年(治承4)の記事に〈源氏の人々は家礼とするのも憚るべきなのに服仕の家人として取り扱うのは以ての外のことだ〉とある。家礼と服仕の家人を対比させて用いていることから,はじめ家礼は家人(けにん)より服属度のゆるい従者を意味したものか。…
…幕府の首長としての将軍と主従関係を結んだ武士身分の者をいう。平安時代,貴顕の家に隷属した従者を家人とよんだが,武門の棟梁である源氏や平家の従者についてもその称呼が用いられ,時に敬称として御の字が付された。鎌倉幕府成立後,将軍の家人も敬称として鎌倉殿の御家人,関東御家人などとよばれ,後には身分の称呼として固定化した。…
…7世紀までの賤民の形成は,(1)犯罪による没身(賤民にすること),(2)人身売買・債務による奴隷化,(3)捕虜の賤民化,(4)手工業者などの賤民化,(5)王族・豪族・寺社の隷属民の賤民化,などにより進行していた。養老令の戸令は,官有賤民として陵墓を保守する陵戸(りようこ)(陵戸・守戸),朝廷で労役に従う官戸(かんこ)と公奴婢(ぬひ)(官奴婢),私有賤民として家人(けにん)と私奴婢の合わせて5種の賤民の身分を定めた(陵戸は大宝令では賤民ではなかったとの説もある)。陵戸は奴隷ではないが,官戸,公奴婢,家人,私奴婢は奴隷であった。…
…1863年南北戦争の最中にリンカン大統領は奴隷解放宣言を出したが,実際に奴隷が解放されたのは65年に戦争が終わったときであり,同年の憲法第13修正で明文化された。【猿谷 要】
【日本】
日本古代の奴隷は,すでに《魏志倭人伝》に生口(せいこう)の記述が見られるので3世紀ころから存在したが,7世紀後半から8世紀にかけて律令法の定める官戸(かんこ),官奴婢(ぬひ)(私奴婢),家人(けにん),私奴婢などの賤民(せんみん)の身分に編成された。奴隷は,犯罪,人身売買,債務,捕虜などにより生じたが,律令法により人身売買や債務により良民を賤民すなわち奴隷とすることは禁止され,奴隷の供給は生益と犯罪に限定された。…
…男性を奴(やつこ),女性を婢(めやつこ)と称する。律令制以前には奴隷的な賤民を一括して奴婢と称したが,大宝令(戸令)では,私有奴婢は私奴婢と家人(けにん)(家族を成し家業を有し売買されない上級賤民)に,官有奴婢は官奴婢(公奴婢とも)と官戸(かんこ)(家人とほぼ同じ身分)に分化した。奴婢は所有者により資財と同じに物として扱われ,相続・贈与や売買・質入れの対象とされた。…
…百姓,公民,良民と同様な意味で用いられた身分呼称であった。《令義解(りようのぎげ)》で〈家人(けにん),奴婢(ぬひ)〉について〈すでに平民に非ず〉といわれているように,賤民である家人や奴婢は平民身分から除外された。また公民の籍帳から外れた浮浪人も平民とはみなされなかったが,浮浪帳に編付され調庸を負担している浮浪人は,弘仁年間(810‐824)の太政官符により水旱不熟の年には平民に準じて調庸が免除されることになった。…
…家士(かし),家人(けにん)などと訳され,国王,諸侯などの家に属する非自由人でありながら,その職務上社会的影響力を得て特別な身分を形成した者をいい,ディーンストマンDienstmannとも呼ばれる。ラテン語ではミニステリアリスministerialis。…
…良賤間の通婚は禁ぜられ,その所生子は原則として賤とされる定めであった(良賤法)。養老令の規定では,賤民に陵戸(りようこ),官戸(かんこ),家人(けにん),官奴婢(ぬひ)(公奴婢),私奴婢の5種があり(五色の賤),それぞれ同一身分内部で婚姻しなければならないという当色婚の制度が定められていたが,このうち陵戸は大宝令では雑戸(ざつこ)の一種としてまだ賤とはされていなかった可能性が強い。雑戸は品部(しなべ)とともに前代の部民(べみん)の一部が律令制下になお再編・存続させられ,それぞれ特定の官司に隷属して特殊な労役に従事させられたもので,そのため身分上は良民でありながら,社会的に一般公民とは異なる卑賤な存在として意識された。…
※「家人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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