宗碩(読み)そうせき

精選版 日本国語大辞典 「宗碩」の意味・読み・例文・類語

そうせき【宗碩】

  1. 室町後期の連歌師。号、月村斎宗祇師事宗長兄事。古典研究にも力を尽くした。著「宗碩句集」「勅撰名所和歌抄出」、紀行ささのわたり」など。「藻塩草」もその著か。文明六~天文二年(一四七四‐一五三三

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改訂新版 世界大百科事典 「宗碩」の意味・わかりやすい解説

宗碩 (そうせき)
生没年:1474-1533(文明6-天文2)

室町後期の連歌師。別号は月村斎(げつそんさい)。出生尾張ともいうが不詳。宗祇(そうぎ)に師事,1502年(文亀2)宗祇没後,宗祇の種玉庵に住み,宗長そうちよう)とともに連歌界を指導。三条西実隆,細川高国ら公家や幕府武将交わり,たびたび北陸や中国,九州を旅し,種子島まで渡った。長門国で客死。連歌作品に《月村斎千句》《住吉千句》,高国辞世の《懐旧百韻》,紀行に《さののわたり》などがある。
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朝日日本歴史人物事典 「宗碩」の解説

宗碩

没年:天文2.4.24(1533.5.18)
生年:文明6(1474)
室町時代の連歌師。号は月村斎。尾張国(愛知県)茨江の鍬鍛冶の子という説がある。連歌を飯尾宗祇に学び,宗長と共に箱根湯本で宗祇の臨終をみとった高弟。永正7(1510)年に宗祇の種玉庵跡に庵を結び,次第に連歌界の実力者にのしあがった。三条西実隆,近衛尚通,細川高国らと交際,特に実隆とは親しかった。美濃,尾張,能登,越前などにしばしば下向,地方と中央を結ぶ文化の伝達者としての役割も果たしている。大永2(1522)年の伊勢国桑名への旅は紀行『佐野のわたり』に記された。作品は多く残っており,優美な作風とはいえるが個性的ではない。

(伊藤伸江)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宗碩」の解説

宗碩 そうせき

1474-1533 戦国時代の連歌師。
文明6年生まれ。宗祇(そうぎ)晩年の高弟。宗祇の最後の旅にも宗長と同行。三条西実隆(さねたか)らと親交をもつ。たびたび日本各地を旅行し,種子島にもわたった。天文(てんぶん)2年4月24日長門(ながと)(山口県)で客死。60歳。別号に月村斎(げっそんさい)。著作に歌論「藻塩草」,紀行「佐野のわたり」,句集「月村抜句」など。

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