デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩下貞融」の解説 岩下貞融 いわした-さだあき 1801-1867 江戸時代後期の国学者。享和元年生まれ。冢田大峯(つかだ-たいほう),清水浜臣らにまなぶ。郷里信濃(しなの)(長野県)の善光寺大勧進別当につかえる。同寺についての初の研究書「善光寺史略」「善光寺別当伝略」などをあらわした。慶応3年9月10日死去。67歳。本姓は滋野。字(あざな)は会侯(のりまろ)。通称は多門。号は桜園,菅山。名は「さだみち」ともよむ。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「岩下貞融」の解説 岩下貞融 没年:慶応3.9.10(1867.10.7) 生年:享和1(1801) 江戸後期の国学者。姓滋野,通称多門,字会侯,号桜園。信濃善光寺の楽人。清水浜臣の指導を受ける。国学のみならず漢学にも通じ,また善光寺の歴史や古典籍の注釈などにも豊富な知識を有した。国学関係では『天八衢』,漢詩では『桜園雨後』,和歌では『不繋舟』が代表的著作。 (久保田啓一) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報