日本歴史地名大系 「岩堀村」の解説 岩堀村いわぼりむら 愛知県:額田郡幸田町岩堀村[現在地名]幸田町菱池(ひしいけ)菱池沼に対して丘陵地に集落が立地。東は横落(よこおち)村、西は菱池沼および幡豆(はず)郡六栗(むつぐり)村、南は芦谷(あしのや)村、北は西脇(にしわき)村・鷲田(わしだ)村・大草(おおくさ)村と池・耕地・丘陵地で各々接する。菱池沼の開発により開拓地は飛地として当村の池対岸に存在し、とくに西脇村・鷲田村との耕地交錯が著しい。明治二年(一八六九)の村差出明細書上(岩堀区有)には村の南に川幅八間の江尻(えじり)川があり、北には川幅四間の北田川がある。ほかに小川五ヵ所、西に菱池沼があり、村内溜池三ヵ所と記す。室町時代、幕府奉公衆の岩堀氏一族の屋敷田畑が、字本丸(ほんまる)付近にあったと伝えられる。岩堀氏は当村以外に宝飯(ほい)郡西郡(にしのごおり)(現蒲郡市)や大門(だいもん)郷(現岡崎市)から尾張国内にも領地が散在している(大樹寺蔵文書)。康正二年(一四五六)の室町幕府奉公衆の「造内裏段銭并国役引付」には「四百文 岩堀修理亮 三川国西郡中村」「八百五十六文 岩堀左近将監 三河国岩堀屋敷分」とみえる。岩堀氏は一向宗門徒として字屋敷(やしき)付近の照池山西光(さいこう)寺と関連をもつ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by