日本歴史地名大系 「大草村」の解説
大草村
おおぐさむら
大草村
おおくさむら
村域の東南は山林で、面積も村域の半分が山林である。東は
北部には円墳横穴式の後期古墳が八基あり、須恵器などを出土した。平安期とされている
大草村
おおくさむら
北は
大草の初見は諏訪御符礼之古書(諏訪大社上社文書)の文正元年(一四六六)五月五日で、諏訪社上社の翌年五月会の頭役をあてられ、諏訪社上社に勤仕している。
天正一九年(一五九一)一一月、飯田城主毛利秀頼は大草のうち諸村の検地を行っているが、大草之内御検地帳(高坂文書)によるとその村名は日曾利・
大草村
おおくさむら
大草村
おおくさむら
大草村
おおくさむら
大草村
おおくさむら
大草村
おおぐさむら
大草村
おおくさむら
大草村
おおくさむら
大草村
おおくさむら
- 愛知県:小牧市
- 大草村
北は
寛文一一年(一六七一)の家数一〇七、人数七七三(寛文覚書)。「徇行記」には「此村戸口多クシテ大体ハ村方ニテ佃力足レリ」とあり概高一千七八五石余のうち一千六八七石余が藩士二八人の給知。
大草村
おおくさむら
大草村
おおくさむら
大草村
おおくさむら
大草村
おおくさむら
大草村
おおくさむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報