幸田町(読み)こうたちよう

日本歴史地名大系 「幸田町」の解説

幸田町
こうたちよう

面積:五五・六六平方キロ

愛知県のほぼ中央部南寄りにあたり、西三河平野の最南端に位置する。東は蒲郡市、西は西尾市、南は幡豆はず幡豆町・吉良きら町、北は岡崎市と接する。境界は北の旧菱池ひしいけ沼であった部分を除くと、ほとんどが山の稜線で境され、西三河と東三河の境界地域に該当する。

縄文遺跡は全域に散在しているが、町域中央部の旧菱池沼の北東部に顕著である。弥生遺跡の分布は、菱池沼の岸辺近くと推定される地域と、東部の高力こうりき大草おおくさなどの内陸部とに分類できる。古墳時代の主力は円墳の後期古墳で、分布は旧菱池沼東部の坂崎さかざきから大草にかけての地域に一つのまとまりがみられる。町域内の主な古墳は六七基を数える。旧菱池沼を挟む東西の古墳群集中地域以外に、大草・深溝ふこうず野場のば六栗むつぐり須美すみの五ヵ所にも古墳群がみられる。

近世初頭までは町域は旧菱池沼を境として西部が幡豆郡、東部は額田郡に属し、おぎのみが宝飯ほい郡に属していた。荘園の発達期には、額田郡に深溝庄があり、相見あいみ庄の存在も指摘されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「幸田町」の意味・わかりやすい解説

幸田〔町〕
こうた

愛知県南部,岡崎平野の南東端にある町。 1952年町制。 54年豊坂村と合体。古くから開けていた地で,中部の菱池周辺に弥生式遺跡,東部の台地面に5~7世紀の古墳群が残っている。 34年にレーヨンを主とする繊維工場を誘致して以来発展。現在でも繊維工業が盛んで兼業農家が多い。 68年東海道本線幸田駅西部と町の北部工業団地が建設され,機械,金属の工場が立地。 62年の逆川地区の開拓パイロット事業,翌年の農業構造改善事業の実施以来,ミカン,カキ栽培と養豚のほか水田裏作のイチゴ,果菜類の促成栽培が行われるようになった。遠望峰山を中心とする一帯は,三河湾国定公園に属する。 JR東海道本線,国道 23号線,248号線が通る。面積 56.72km2。人口 4万2449(2020)。

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