岸沢惟安(読み)きしざわいあん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岸沢惟安」の意味・わかりやすい解説

岸沢惟安
きしざわいあん
(1865―1955)

明治~昭和時代の曹洞(そうとう)宗の僧。号は眠芳(みんぽう)。雅号は酔経(すいきょう)、図睡快庵(とすいかいあん)、鉄漢楼(てっかんろう)、棲蘆(せいろ)、跛挈子(はけつし)。また啓秀軒(けいしゅうけん)、秋水伊人(しゅうすいいじん)を室名とした。幼名は計之助。埼玉県に生まれ、埼玉県師範学校を卒業。小学校訓導のあと、32歳のとき発心し西有穆山(にしありぼくさん)に就いて得度丘宗潭(おかそうたん)(1860―1921)にも参じ、生涯を道元著『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の解明に尽くした。埼玉県の清法(せいほう)寺、兵庫県の永源(えいげん)寺、京都の安泰(あんたい)寺、青森県の法光寺を歴住し、静岡県志太(しだ)郡豊田村(焼津(やいづ)市)に旭伝院(きょくでんいん)を開創。この間、伊豆の修禅寺(しゅぜんじ)、横浜の西有寺僧堂に勤め、大本山永平寺(えいへいじ)眼蔵会の講師、西堂職に任じた。著書に『五位顕訣元字脚葛藤集(ごいけんけつがんじきゃくかっとうしゅう)』24巻、『旭伝開山眠芳惟安和尚語録(きょくでんかいさんみんぽういあんおしょうごろく)』6巻、『改訂仏祖正伝禅戒鈔講話(ぜんかいしょうこうわ)』4巻、『正法眼蔵全講』24巻など多数ある。

[櫻井秀雄 2017年6月20日]

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