日本大百科全書(ニッポニカ) 「西有穆山」の意味・わかりやすい解説
西有穆山
にしありぼくさん
(1821―1910)
江戸末期~明治期の曹洞(そうとう)宗の僧。諱(いみな)は瑾英(きんえい)。穆山瑾英と称する。勅賜号は直心浄国禅師(じきしんじょうこくぜんじ)。陸奥(むつ)(青森県)八戸(はちのへ)の人。長竜寺の金竜(きんりゅう)について得度し、江戸・吉祥寺(きちじょうじ)の学寮で修学、浅草本然寺(ほんねんじ)の安窓泰禅(あんそうたいぜん)に法を嗣(つ)いだ。相模(さがみ)(神奈川県)海蔵寺(かいぞうじ)の月潭全竜(げったんぜんりゅう)(?―1865)の下で参禅修行し、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の参究に努めた。陸奥の法光寺、札幌の中央寺(ちゅうおうじ)、遠江(とおとうみ)(静岡県)の可睡斎(かすいさい)などに歴住し、横浜に西有寺(さいゆうじ)を開創。1901年(明治34)能登(のと)(石川県)の総持寺独住3世の貫首(かんしゅ)となり、明治43年12月4日、90歳で入寂。著書に『直心浄国禅師語録』4冊、『正法眼蔵啓迪(けいてき)』3冊がある。
[櫻井秀雄 2017年9月19日]