静岡県中部にある市。2008年11月旧焼津市が大井川(おおいがわ)町を編入して成立した。人口14万3249(2010)。
焼津市南部の旧町。旧志太郡所属。人口2万2992(2005)。大井川河口東岸を占める。大井川の堆積作用によって形成された沖積低地にあり,典型的な散村形態を示す。広い水田地帯にはトマト,キュウリなどの野菜を主体とする施設園芸や茶園が散在し,伏流水を利用したウナギの養殖が盛んである。駿河湾内ではサクラエビ,シラスなどの漁業も営まれる。1965年掘込み式の町営大井川港が開設され,東名高速道路の焼津と吉田の2インターチェンジの間にあり,国道150号線,県道などの道路網が整備されて,急速に工業化が進展している。町の北東部に航空自衛隊静浜基地がある。藤守の大井八幡宮では毎年10月に重要無形民俗文化財指定の田遊びが行われる。
執筆者:萩原 毅
焼津市北部の旧市で,日本有数の水産業都市。1951年市制。人口12万0109(2005)。市域の大部分が朝比奈川と瀬戸川の沖積地で,北部に高草山などの山地がある。江戸時代より海運・漁業の町として栄えたが,1889年の東海道本線開通や,明治末から大正にかけての動力漁船の導入,漁場の拡大によって第2次大戦前には水揚高日本一の漁港に成長した。戦後は1951年に人工掘込み港の焼津漁港が完成,大規模な魚市場も設置され,マグロ,カツオなどの遠洋漁業の基地として整備された。1996年の焼津港の水揚高は18万5655t,475億0788万円,その南にある小川(こがわ)港はサバなどの近海漁業が中心で2万5439t,28億9369万円で両港を合わせると金額で静岡県全体のおよそ半分を占める。工業は缶詰,かまぼこ,鰹節などの水産加工業,漁船を主とする造船業,船舶機械工業などが中心で中小零細工場が多かったが,水産加工団地,造船団地が建設されて流通機構の改革も進められている。東名高速道路焼津インターチェンジがあり,サッポロビールなど大企業工場の進出もみた。なお,1954年にビキニ水爆実験で死の灰を浴びた第五福竜丸は焼津港所属の漁船であった。
執筆者:塩川 亮
焼津の名が文献に現れるのは,記紀の日本武尊の東征伝説にまでさかのぼるが,確実なものとしては,《万葉集》巻三の春日蔵首老の歌に〈焼津辺〉とみえる。また10世紀初頭の《延喜式》に記された駅伝制では,初倉(蓁原郡)から小川(益頭郡。現,焼津市小川)を経て横田(安倍郡)に至っており,小川は東海道交通の要衝であった。しかし他方,藤枝,岡部から宇津の山越えで駿府に至る道筋もあり,中世・近世ではこれが東海道の主要道となったため,焼津は陸上交通の面では衰退した。一方,太平洋沿岸沿いの海上交通の面では,中世,小川湊が要地として,荘園年貢米など物資輸送を中心に繁栄し,今川氏の領国下においても重要な港であった。また近世では,焼津の城之腰(じようのこし),新屋(あらや)が海運業や漁業の基地として発展し,廻船問屋などもできた。この特色は近代以降にも引き継がれた。
執筆者:本多 隆成
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静岡県中央部、駿河(するが)湾西岸中央に位置する日本屈指の水産都市。1901年(明治34)町制施行、1951年(昭和26)市制施行。1953年豊田村、1954年藤枝町の一部、1955年小川(こがわ)町と大富(おおとみ)、東益津(ひがしましづ)、和田の3村、1957年広幡村の一部を編入。2008年(平成20)志太(しだ)郡大井川町(おおいがわちょう)を編入。市名は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が野火の難にあい、草薙剣(くさなぎのつるぎ)で草を薙(な)ぎ、向火(むかいび)を放って賊を討ち滅ぼしたという『日本書紀』神話の地「やきつ」に由来する。市域中部は瀬戸川、北部は朝比奈川の沖積地で、北端は高草山、南端は大井川。全体として平坦(へいたん)な地形で、山間地は全体の10分の1に満たない。気候は温暖な海洋性気候で、冬は暖かい。JR東海道本線、国道150号が通じ、東名高速道路焼津インターチェンジがある。『万葉集』に「焼津辺(やきつへ)に吾(わが)ゆきしかば駿河なる阿倍(あべ)の市道(いちじ)に逢(あ)ひし児(こ)らはも」と詠まれ、古代焼津と阿倍の市との密接な通交が認められる。小川には東海道の駅が設けられ、中世には小川湊(みなと)が活気を呈した。近世には城之腰(じょうのこし)、新屋(あらや)が海運と漁業の基地。1889年(明治22)東海道本線焼津駅の開設はこの地の発展を促し、明治末年の発動機付きの漁船4隻による八丈島沖での操業の好成績は遠洋漁場の開拓、船舶の大型化をもたらし、焼津を遠洋漁業の基地とした。第二次世界大戦後、1954年第五福竜丸がビキニ環礁での水爆実験の犠牲となり、1965年マリアナ海域でカツオ船7隻が台風遭難し209人もの犠牲者を出すなど試練が続いた。現在200海里漁業規制、魚価の低迷の悪条件下にあるが、焼津港の2018年の水揚量は15万3千5百余トンで、漁港別では全国屈指であり、水産缶詰、冷凍食品、練り製品、かつお節などの製造を主産業とする。製薬、ビールなどの工場も近年進出している。北部の丘陵地では茶とミカン、平坦地では稲作と施設園芸が行われている。奇岩絶壁の大崩(おおくずれ)海岸、高草山、夏の荒祭りで有名な焼津神社、小泉八雲(やくも)滞在の家跡、ダルマ市と日本三大虚空蔵(こくぞう)尊で有名な香集寺(こうしゅうじ)、海岸近くにある焼津黒潮温泉など観光資源にも恵まれる。面積70.31平方キロメートル、人口13万6845(2020)。
[川崎文昭]
『『焼津市史』全11巻(2001~2008・焼津市)』
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