島ノ瀬村(読み)しまのせむら

日本歴史地名大系 「島ノ瀬村」の解説

島ノ瀬村
しまのせむら

[現在地名]南部川島之瀬しまのせ

南部川にその支流神野こうの川が合流する地にある。西は平野ひらの村、北西市井川いちいがわ村。「続風土記」は「村居南部川に添ふ、今小名に島瀬垣内といふあり、これを取りて村とするなり、名義は字の如し」とし、小名として穂手見ほてみを記す。南部竜神街道が通る。慶長検地高目録には記載がなく、当時は南部川村の一部であった。宝暦一〇年(一七六〇)の南部組大指出帳(「日高近世史料」所収)に島之瀬村とあり、村高一二五石余で、このうちには紙木一七六束分の高三石五斗二升、桑四束分の高四升、茶九四斤余分の高五石六斗四升九合が含まれる。田畑二二町三反余、家数二七で内訳は庄屋・肝煎各一、御役家一一、無役家一四、人数一二〇(男六七・女五三)、牛一一、井堰一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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