嶮熊野庄
けんくまののしよう
現マキノ町内に比定される青蓮院門跡領庄園。永祚二年(九九〇)二月一三日の慈忍和尚遺戒(門葉記)に「大処庄験熊野庄是也」とあり、妙香院門跡領大処庄と混同されているが、一般には鞆結庄の地域に該当すると考えられている。弘安三年(一二八〇)四月日の某袖判下文(願慶寺文書)に「喩熊野庄」とみえ、藤原忠基が打司職に補任されている。元亨二年(一三二二)九月に国真名・有司職など三分の一が忠景から沙弥心蓮に譲られている(「某袖判下文」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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