浅井亮政 (あさいすけまさ)
生没年:?-1542(天文11)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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浅井亮政
あざいすけまさ
(?―1542)
北近江の戦国大名。浅井直種(ただたね)の子で、惣領家直政の娘蔵屋(くらや)と結婚して惣領家を継いだ。備前守を称す。1523年(大永3)に起こった主家京極氏の家督争いを契機に、北近江の国人たちと国人一揆(こくじんいっき)を結び、次第に主家を圧倒し、戦国大名に成長した。小谷(おだに)城を本拠とし、南近江の六角氏と戦い、越前の朝倉氏の援助を得て戦国大名浅井氏の基礎を築いた。1542年(天文11)没。墓は滋賀県長浜市の徳勝寺。
[小和田哲男]
『小和田哲男著『近江浅井氏の研究』(2005・清文堂出版)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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浅井亮政 あさい-すけまさ
?-1542 戦国時代の武将。
浅井長政の祖父。京極高清につかえ,跡継ぎをめぐる内紛のなかで勢力を拡大し,近江(おうみ)(滋賀県)小谷(おだに)城を居城として北近江の実権をにぎる。以後,南近江の六角定頼にしばしば侵攻されたがのち和睦(わぼく)。越前(えちぜん)(福井県)の朝倉氏とは良好な関係をたもった。天文(てんぶん)11年1月6日死去。通称は新三郎。姓は「あざい」ともよむ。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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浅井亮政
あさいすけまさ
[生]?
[没]天文11(1542).1.6. 近江
戦国大名,守護。京極氏の被官。近江北半を領有した小谷城主浅井氏 3代の基を築く。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の浅井亮政の言及
【近江国】より
…北近江の京極氏にも内紛が続き,その中から被官の[浅井氏]が台頭した。すなわち浅井亮政は勢力を拡大して国人を組織し,六角氏と争い,越前の朝倉氏と結び,ついに京極氏から自立して北近江を統一した。その孫長政は六角氏の内紛に乗じて勢力を拡大し,織田信長と結び,信長上洛の際は先鋒として観音寺城に六角氏を破り,近江の大半を領した。…
※「浅井亮政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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