海津(読み)かいづ

  • 岐阜県の市
  • 海津 (カイズ)
  • 滋賀県の地名

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岐阜県南西部,海津市東部の旧町域。輪中地域にある。 1955年高須町と東江村,西江村,大江村,吉里村の4村が合体して海津町が発足。 2005年平田町,南濃町と合体して海津市となった。中心集落は高須で商業の中心地。米作のほか,近郊野菜の栽培が行なわれる。治水工事の犠牲者をまつる治水神社がある。油島千本松締切堤は国の史跡。一部は千本松原県立自然公園に属する。
滋賀県北西部,高島市北東部の旧村域。かつては湖港で,古代から近世にかけて北国貢米産物京都へ運ぶ琵琶湖水運の要津であった。琵琶湖八景の一つ海津大崎 (→大崎 ) の岩礁がある。

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デジタル大辞泉の解説

岐阜県南西部にある市。木曽川長良川揖斐(いび)川が縦貫し水害が多発したが、江戸時代から治水が進み現在は農業が盛ん。平成17年(2005)3月に海津町、平田町、南濃町が合併して成立。人口3.8万(2010)。
滋賀県高島市の地名琵琶湖北岸に位置し、京都・敦賀(つるが)を結ぶ交通要地として栄えた。もと貝津と書いた。

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百科事典マイペディアの解説

琵琶湖の北西岸,近江国高島郡にある地名。現在の滋賀県マキノ町(現・高島市)域。湖南大津堅田(かたた)と結ぶ湖上交通の要津で,また畿内と北陸をつなぐ古代北陸道の鞆結(ともゆい)駅が置かれたとする説があり,越前敦賀(つるが)に通じる七里半越(しちりはんごえ)の起点となっている。1183年4月には木曾義仲を追討する平氏の軍勢が海津を通って北上し,平経正は海津浦から竹生(ちくぶ)島に参詣している(《源平盛衰記》)。室町幕府御料所として海津荘が成立しており,嶮熊野(けんくまの)荘・開田(かいで)荘・大処(おおところ)荘を含む一帯で,1454年頃には海津東浜10ヵ村・海津西浜11ヵ村がみられる。戦国期には越前に向かう一向宗の海津坊主衆,六角氏の被官で商人の豊島氏,海津の関所を支配する打下氏など多様な人々がいた。1583年には羽柴秀吉方の丹羽長秀は海津口などに7千の兵力を置いている。近世には海津東町・海津中村町・海津中小路町などに分立し,幕府領のほか,加賀藩領・大和郡山藩領などとして推移した。1620年代に海津宿を経由する北国諸大名領の登せ米は年間30万石で,諸物資を含めて海津湊から大津に海送された。

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世界大百科事典 第2版の解説

滋賀県高島郡マキノ町にある琵琶湖北西岸の港町の地名。甲斐津,萱津,貝津とも書いた。越前敦賀に至る七里半越の起点であり,畿内と北陸を結ぶ街道に位置し,湖南の大津,堅田との湖上交通は早くから開けて,湖北の要港として知られていた。中世史料には〈海津東浜十ヵ村,海津西浜十一ヵ村〉とか,〈海津東(浜)荘 海津西(浜)荘〉とみえている。海津東浜は現在の海津,海津西浜は現在の西浜で,このあたりを称して海津荘といっていたようである。

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精選版 日本国語大辞典の解説

[一] 滋賀県高島市の地名。江戸時代、北陸街道の宿駅、琵琶湖水運の商港として栄えた。甲斐津。萱津。
[二] 岐阜県の南西端の地名。養老山地と木曾・長良・揖斐の三河川にはさまれた地域。近鉄養老線が通じる。平成一七年(二〇〇五)市制。

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