嶺井村(読み)んみーむら

日本歴史地名大系 「嶺井村」の解説

嶺井村
んみーむら

[現在地名]大里嶺井みねい

大里うーざとう間切の北部に位置し、西は島袋しまぶく村、北は上与那原ういーゆなばる(現与那原町)、東は板良敷いちやなじち(現同上)。絵図郷村帳・琉球国高究帳には島添大里しましーうーざとう間切んみ村とあり、「琉球国由来記」には大里うーざとう間切嶺井村とみえる。同名村が絵図郷村帳の玉城たまぐすく間切にみえる。前掲高究帳では高頭九四石余、うち田七五石余(うち永代荒地四石余)・畠一九石余。間切集成図には与那原ゆなばる(現与那原町)の本番所と南風原ふえーばる村の番所を結ぶ道沿いに嶺井村が描かれている。当間切の地頭代が当村の地名である新垣を名乗って新垣親雲上と称し、一八八〇年(明治一三年)役俸は米九石余・雑石三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む