南風原(読み)はえばる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南風原」の意味・わかりやすい解説

南風原(町)
はえばる

沖縄県島尻郡(しまじりぐん)にある町。沖縄本島南部、那覇市に接する。1980年(昭和55)町制施行。首里(しゅり)から南側に位置していることによる名称起伏のある地形で北側は高台。国道329号、507号、那覇空港自動車道(南風原道路)、県道が交錯し、交通の便がよい。琉球(りゅうきゅう)王府時代は王府直轄地。第二次世界大戦の沖縄戦には日本陸軍野戦病院壕(ごう)があった。現在、サトウキビ野菜花卉(かき)を栽培。本部(もとぶ)、照屋(てるや)、喜屋武(きゃん)地区は琉球絣(がすり)、琉球紬(つむぎ)の産地。都市化が進み、国道沿いには工場が進出している。1995年(平成7)に沖縄県公文書館が開館した。面積10.76平方キロメートル、人口4万0440(2020)。

堂前亮平]

『『南風原村史』(1971・南風原村)』『『南風原町史』(1997~ ・南風町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「南風原」の意味・わかりやすい解説

南風原[町] (はえばる)

沖縄県島尻郡の町。1980年町制。人口3万5244(2010)。沖縄島(本島)南部,那覇市に接し,海には面しない。町域全体が起伏のある丘陵地で北部は台地となって首里に続き,国場川とその支流に沿った沖積地は肥沃な土壌で,琉球王府時代には首里三平等(みひら)のうちの南風平等(はえのひら)に属し,王府の直轄地であった。古くは稲作,近世末期にはサツマイモ中心の農村であった。現在はサトウキビのほか,都市近郊農業として野菜,花卉栽培が行われる。本部(もとぶ),照屋(てるや),喜屋武(きやん)地区は琉球絣の産地として知られる。近年は那覇市のベッドタウンとして,宅地化が著しく進んでいる。太平洋戦争末期,喜屋武には日本軍の野戦病院壕があった。沖縄自動車道のインターチェンジがある。
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百科事典マイペディア 「南風原」の意味・わかりやすい解説

南風原[町]【はえばる】

沖縄県,沖縄島南部にある島尻郡の町。那覇市南東隣の農村地帯で,サトウキビ,野菜を栽培するほか琉球絣(がすり)を産する。琉球王府時代はその直轄地。近年那覇市のベッドタウン化で人口増加が顕著。県立公文書館がある。10.76km2。3万5244人(2010)。

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