バル(その他表記)Bar

デジタル大辞泉 「バル」の意味・読み・例文・類語

バル(Bar)

モンテネグロ南部の都市。同国の主要な港湾都市の一。アドリア海を挟んでイタリアバリに相対する。旧ユーゴスラビアの時代に建設された幹線鉄道は、セルビアの首都ベオグラードと結ばれ、経済、観光の分野で重要な役割を果たしている。オリーブ柑橘類の生産が盛ん。

バル(〈ドイツ〉Ball)

舞踏会ダンスパーティー
[補説]欧州では毎年11月から翌年3月ごろにかけて多く開かれ、特にウィーンオーパンバル(オペラ座舞踏会)が有名。

バル(〈スペイン〉bar)

スペイン式の飲食店カウンターが備えられており、料理・酒類・コーヒーなどを出す。スペインバル。

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精選版 日本国語大辞典 「バル」の意味・読み・例文・類語

ば・る

  1. 〘 自動詞 ラ行下二段活用 〙ばれる

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バル」の意味・わかりやすい解説

バル
Bar

モンテネグロ南西部,アドリア海に面する港および港町。モンテネグロ最大の港であり,唯一の海運上の玄関口である。都市名はノービバル (新バル) 。ルミヤ山のふもとにスタリバル (旧バル) の遺跡がある。バルに関する最古の記述はビザンチン帝国下の9世紀にさかのぼる。地中海諸国にはアンティバリの名で知られた。 11世紀から 15世紀にかけてたびたび自治権を獲得。 14世紀にはこの地の大主教がセルビア大主教の称号を得た。 1443~1571年ベネチア,1571~1878年オスマン帝国の支配下に置かれた。 1878年モンテネグロ人がオスマン帝国から独立をかちとった際,一部が壊滅,さらに 1881年と 1912年の戦闘で廃墟となり放棄された。 1970年代後半以降,原油の輸出入の増大に伴って都市部は大幅に拡大された。セルビアの首都ベオグラードと鉄道で結ばれ,南東にはリゾート地で知られる港町ウルツィニがあり,内陸にはバルカン半島最大の湖であるシコダル湖がある。人口4万 5223 (2003推計) 。

バル
Ball, Hugo

[生]1886.2.22. ピルマゼンス
[没]1927.9.14. サンタボンディオ
ドイツの作家。ミュンヘンおよびハイデルベルク大学で学ぶ。のちベルリンで M.ラインハルトについて演劇を学び,俳優として舞台に立った。第1次世界大戦が始るとスイスに移住,ダダの創始者の一人となった。過激な批評家として当時のドイツの状況やプロテスタンティズムを攻撃し,カトリックに改宗した。日記『時代からの逃走』 Die Flucht aus der Zeit (1927) がある。またヘッセの友人として,その評伝 (27) を書いたことでも知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バル」の意味・わかりやすい解説

バル(Hugo Ball)
ばる
Hugo Ball
(1886―1927)

ドイツの作家。敬虔(けいけん)なカトリック信者の息子としてピルマゼンスに生まれる。大学の学位論文ニーチェを取り上げ、その影響で文化革新者としてたつことを決意し、演劇に転身。ベルリンでラインハルトの演劇学校に学んだのち、ミュンヘンの小劇場演出家となる。そこで画家カンディンスキーの諸芸術総合の理念に感化される。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)とともにしだいに反戦に傾き、スイスへ亡命、チューリヒで芸術家クラブ「キャバレー・ボルテール」を開き、ダダ運動の創始者となる。とくに立体衣装と儀式で演出された音声詩朗読は有名。そののち著述家に転じ、『ドイツ知識人批判』(1919)、『ビザンティンのキリスト教精神』(1923)などを著し、隠遁(いんとん)と極貧のうちに没す。

[土肥美夫]

『土肥美夫・近藤公一訳『時代からの逃走――ダダ創立者の日記』(1975・みすず書房)』


バル(薬)
ばる
BAL

British anti-lewisiteの略称で、ジメルカプロールの商品名。第一次世界大戦中に、毒ガスであるルイサイトの解毒を目的にイギリスで開発された重金属拮抗(きっこう)剤である。一アンプル中に100ミリグラムを含有する油性注射剤で、ヒ素、水銀、鉛、銅、金、ビスマス、クロム、アンチモンの中毒の際の解毒剤として筋肉注射で用いられる。

[幸保文治]

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改訂新版 世界大百科事典 「バル」の意味・わかりやすい解説

バル
Hugo Ball
生没年:1886-1927

ドイツの作家。ニーチェの影響で文化改革者を自覚し,演劇界へ入る。ミュンヘンの演出家時代にカンディンスキーからも感化を受ける。第1次大戦で反戦思想を深め,スイスへ亡命。1916年チューリヒでダダ運動の開祖となり,音声詩を創出した。ダダ離脱後はドイツ批判の筆を取ったが,大戦後カトリックに改宗し,極貧と禁欲生活の中で教父の思想書や,アナーキズムを媒介とし〈大いなる拒絶〉の精神に満ちた回想録《時代からの逃走》,《ヘッセ論》(ともに1927)などを著述,ルガノ近郊で早世した。
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百科事典マイペディア 「バル」の意味・わかりやすい解説

バル

モンテネグロの南東部の都市。アドリア海に臨む同国の主要港湾都市で,イタリアのバーリと相対する。また隣国セルビアの首都ベオグラードへ通ずる幹線鉄道の起点ともなっている。ローマの植民地でもあった古い町で,古くはアンテバリウムといわれ,イタリア語ではアンティバーリと呼ばれている。近くには南東に観光・保養地として知られるウルチニがあり,北東にはバルカン最大の湖シュコダル湖がある。人口1万3809人(2005)。

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飲み物がわかる辞典 「バル」の解説

バル【bar(スペイン)】


スペインの飲食店の一種で、喫茶店・軽食堂・居酒屋を兼ねたような店。カウンターがあり、コーヒーや、ワインなどのアルコール類、タパスと呼ばれる小皿料理などを出す。

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世界大百科事典(旧版)内のバルの言及

【パンジャーブ】より

…水系網の河間の地がドアーブdoāb(〈二つの川〉の意)で,多くは両側を流れる河川名にちなむ名をもつ。ドアーブは河流沿いのベートbethと呼ばれる狭長な新しい沖積低地と,その背後の比高6~10mの崖によって画されるバルbarと呼ばれる古い沖積台地からなる。用水路灌漑化以前には井戸灌漑が可能な山麓部などを除くとバルの大部分は放牧に利用されるにすぎず,農業はベートとその周辺に限られていた。…

【新交通システム】より

…そのころ,イギリスではキャブトラック構想をはじめとする各種の新交通システムが提案されたが,なかなか実現せず,その後国内のエネルギー事情の緩和もあって,目下開発を中断している。フランスは,PRTとしての小型車両の高密度運行を可能にしたアラミスARAMISなどのシステムの開発を進め,83年リールにバルVALを建設し,運用している。ドイツは,ヨーロッパ諸国の中でいちばん積極的に開発を進めており,PRTとしてキャビネン・タクシーCabinen Taxiを完成し,病院などで短距離交通として実用化している。…

※「バル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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