与那原(読み)よなばる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「与那原」の意味・わかりやすい解説

与那原(町)
よなばる

沖縄県島尻郡(しまじりぐん)にある町。沖縄本島南部の東海岸に面する。1949年(昭和24)大里村(おおざとそん)から分離して町制施行。海岸線に沿った低平地でその背後は丘陵地。国道331号と329号が市街地で合する。第二次世界大戦前、与那原港は沖縄本島北部から薪炭を、また与那原からは日用雑貨を運ぶ山原船(やんばるせん)が往来した。1914年(大正3)那覇から軽便鉄道開通したほか、馬車軌道や乗合バスの終点であり、与那原は交通の要地として発展してきた。特産の赤瓦(がわら)の製造は、第二次世界大戦前から知られ、首里城の復原にも使われた。近年、那覇市の衛星都市として都市化が進行し、農業はサトウキビからキク栽培などの園芸に変化しつつある。行事として、400年の伝統をもつ大綱引が知られる(かつては旧暦6月26日に行われたが、現在は26日以降の日曜日)。面積5.18平方キロメートル、人口1万9695(2020)。

堂前亮平]

『『与那原大綱曳』(1983・与那原町商工会)』


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改訂新版 世界大百科事典 「与那原」の意味・わかりやすい解説

与那原[町] (よなばる)

沖縄県沖縄島(本島)南部東海岸に位置する島尻(しまじり)郡の町。人口1万6318(2010)。海岸沿いは低平地で,背後は丘陵地。第2次世界大戦前,与那原港は沖縄島北部の国頭(くにがみ)地方から林産物を運んだ山原船(やんばるせん)と呼ばれる帆船の基地としてにぎわった。1914年那覇から県営鉄道が開通(1945年初頭まで営業)し,その終点であったほか,沖縄島中南部への馬車軌道や乗合バスの起点でもあった。戦前から在来工業として沖縄瓦の製造が行われ,一時は県下の全需要をまかなうほどであったが,現在は衰退した。その伝統は煉瓦製造や陶器作りに引き継がれている。近年,那覇市の近郊住宅地化が著しい。農業はサトウキビ作中心から花卉,野菜に転換しつつある。旧暦6月27日前後に行われる大綱引行事は400年の伝統をもつ。
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百科事典マイペディア 「与那原」の意味・わかりやすい解説

与那原[町]【よなばる】

沖縄県沖縄島南部,島尻郡の町。中城(なかぐすく)湾に臨む港町で,古くから東海岸の交通要地として発展。林産物,農産物,雑貨など物資の集散地で,第2次大戦前は那覇市へ鉄道が通じていた。琉球瓦を特産。5.18km2。1万6318人(2010)。

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