川嶺村(読み)はんみむら

日本歴史地名大系 「川嶺村」の解説

川嶺村
はんみむら

[現在地名]喜界町川嶺かわみね

山田やまだ村の南に位置する。わん間切のうちで、かつては三つのシマ(村)からなっていたが、協力して台風に備えようと寄り集まったという。琉球王国尚家の末孫と伝えるトノチ家や、ナッシュ家などの旧家があり、そのムヤ(墓地)赤連あがれー村に設けるなど遠葬を慣例とした。元和年間(一六一五―二四)に喜界島で置目条書を受けた金樽の子女である思米は川峯村半田瀬戸の妻であったという(「金樽一流系図」奄美大島諸家系譜集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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