20世紀日本人名事典 「工藤壮平」の解説 工藤 壮平クドウ ソウヘイ 大正・昭和期の書家,官僚 宮内省御用掛。 生年明治13(1880)年12月10日 没年昭和32(1957)年4月7日 出生地岡山県浅口郡占見新田村(現・金光町) 別名号=文哉,双鳳軒主人 学歴〔年〕東京帝国大学法科大学卒 経歴官僚となり、朝鮮総督府総務課長、関東庁秘書課長、内大臣秘書官などを歴任。その一方で小野鵞堂門下の書家としても名を成し、のちには宮内省御用掛として香淳皇后や高松宮妃・三笠宮妃に書道を教えた。大らかにして格調高い書風で知られる。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「工藤壮平」の解説 工藤壮平 くどう-そうへい 1880-1957 大正-昭和時代の書家,官僚。明治13年12月10日生まれ。小野鵞堂(がどう)にまなぶ。朝鮮総督府総務課長,内大臣秘書官などをつとめる。香淳(こうじゅん)皇后,高松宮妃,三笠宮妃に教授した。昭和32年4月7日死去。76歳。岡山県出身。東京帝大卒。号は文哉,双鳳軒主人。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by