20世紀日本人名事典 「工藤貞次」の解説 工藤 貞次クドウ テイジ 明治期の作曲家 陸軍戸山学校軍楽隊長。 生年万延1年(1860年) 没年昭和2(1927)年2月6日 経歴明治26年陸軍戸山学校初代軍楽隊長となり、ドイツ、フランスに数年間留学、音楽を研究、軍楽隊の基礎を築いた。30年明治天皇の嫡母英昭皇太后崩御の折、陸軍省、宮内省の命で戸山学校講師のドイツ人エッケルとともに「哀の極」を合作した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「工藤貞次」の解説 工藤貞次 くどう-ていじ 1860-1927 明治-大正時代の音楽家。万延元年生まれ。明治15年フランスにわたり,パリ国立音楽学校にまなぶ。36年陸軍戸山学校の軍楽隊長。明治30年の英照皇太后の葬儀にあたり,戸山学校講師のドイツ人エッケルトとともに奉悼曲「哀(かなしみ)の極(きわみ)」をつくった。昭和2年2月6日死去。68歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by